前職のことを少し
私は何年もパワハラを受けていました。以前勤めていた会社では、パワハラは恒常的に行われており、出社できなくなってそのまま辞める人が年に数人はいます。
組織に数人は精神的に病んで長期休暇中の社員がいて、社外でも同業であれば噂を耳にすることがあるほどです。私も転職前に、すでに噂は知っていました。
当時の勤務先が業績不振から拠点撤退することになり、地元に留まることにした私は、再就職試験に失敗し、背に腹はかえられない状態でその会社に勤めることにしました。
独特の空気でした。朝会では「挨拶は進んで自分から」と唱和しながら、実際には朝挨拶をしても誰も返事をしない、そんな職場です。
出張先でも「お宅の社員は仲が悪いんですね」としばしば声をかけられ、何度もばつの悪い思いをしました。
社内で自分がハラスメントの対象になるとは思っていませんでしたが、「彼女に嫌われると大変」「彼に気に入られると楽勝」と言ったことはよく聞かされていました。
仲のいい職場
「彼女」はよく肩をすくめて舌を出していました。昭和のドラマの噂好きのOLのような感じです。「彼」はよくほくそ笑んでいました。大きな声でしゃべることはなく、いつも下を向いてひそひそと話します。
「彼ら」は上司ととても仲良しでした。その会社の上層部はみんな仲が良かったようです。入社後すぐに、会社説明をしてくれた人が「うちはみんな仲がいいから」と言っていました。
私は、特化した資格や技術があるわけではありません。年齢的にも能力的にも自分の市場価値がどれほどかは分かっているつもりです。
契約社員であった私は、いつのまにか、社員の顔色をうかがい、会社にしがみつくようなそんな働き方をしていました。そこを辞めたら行くところがないと思ったからです。
そして、空気の悪い中、何も気づかず感じていないふりをして「もう限界」と言うまで日々をやり過ごしました。
パワハラ
私はよく「彼女」の愚痴を聞いていました。彼女の同期のSNSの内容や着ているものにイライラするとか、いつも居眠りをしている外注社員のことなど。
プロジェクトが停滞してしまい、どうしたらいいか考えてほしいと言ってきたのも彼女です。
噂話は聞き流し、仕事に関しては全面的に協力しました。停滞したプロジェクトの問題解決に関する資料も私が作りました。
資料の作成者が彼女の名前に変えられて、役員答申を無事通ったと知ったのは今年の初めです。その後、彼女は私を徹底的に無視し始めます。
私が必要機材として挙げていたものは、全て新たに購入されました。関係の取引先へのデモンストレーション用のシナリオ作成の依頼は、別の社員からきました。
プレゼン資料とシナリオが完成すると、フォントの色や大きさ等、資料内の情報全てドキュメントにするよう頼まれます。出来上がると、サーバにアクセスできなくなりました。
契約社員の私は、社員が私の資料を自分の名前で発表することにはある程度慣れてもいたし、仕方のないことと考えてもいました。
けれど、サーバのアクセス権がなくなり、内線電話のないフロアの隅に席を替えられ、私をはっきりと見て舌を出した彼女の態度、彼らが顔を見合わせて笑っている姿は納得しようがありません。
新人の数人が、「(私と)会話をする許可がおりない」とか「(ある資料についての)情報を知らないのではないか」とこっそりと話しかけてくれました。
例年私が出張していた仕事が、新人に振られ、隠れるようにしながら相談されたのもこの頃です。
既にそのフロアには、グループから外れた場所に席を替えられて孤島にポツンといる社員が3名ありました。
社員は、昇格するときに、先輩を越えてしまう場合など、当人が仕事がやりづらいと申告すれば、対象社員は異動や転籍させられます。
トラブル案件では、上から指名された人が一人責任をとらされます。現地でトラブル対応に当たっている間に、社内の席がなくなっていることもありました。まさに「スケープゴート」です。
そして、私もいつの間にか山羊になっていたということです。
クラウドワーカーとして働く
離職後、新たに転職先を探す気にはなれませんでした。とりあえず、クラウドワーカーとしてライティングをすることにしました。
在職中に登録をして数記事作成していたので、やっているうちに慣れてくるだろうと思っていたのですが、浅はかでした。
Webライターとしての限界
自宅でライティングだけをし始めると、レギュレーションに嫌気が差して、何も書けなくなってしまったのです。
初めて声をかけてくださったクライアントの仕事だけでも続けたいと思いましたが、突然変わるツールの仕様や細かなルール。当初のテーマは知らぬ間になくなっています。
月1万程度の収入。高い手数料。頑張って生活できるだけのライティング力を身に付けようとはどうしても思えません。
ブログを始めて思考停止状態からの脱却方法に気づく
自由に書きたい。ブログを始めてみようと思ったのは、仕事を辞めて1か月半くらい経った頃です。
他のWebライターの方の仕事の仕方や生活の状況が知りたいと色々と調べているうち、ブログで生計を立てている方の情報に目がいくようになりました。
人に雇用されない生き方を探っていたのに、クラウドワーカーでは矛盾している。様々な方のブログの始め方のブログを読みました。YouTubeも見ました。
異口同音に皆さん「とにかく始める」「とにかく書く」と言っています。それでも、私は半月くらいぐずぐずと悩みました。書くことが怖い。公開することが怖い。人が怖い。
YouTubeでも、その気で見ると、わけもなく攻撃的なコメントを目にする。あの「ひそひそ話」やほくそ笑む姿が重なってくる。
それでも「ブログを始めてみよう」と言っている人たちのブログやYouTubeは優しい。みんな、共通して「弱者」に寄り添う目線を持っている気がする。
毎日毎日、彼らの情報を見ていると何となく勇気が出てきました。経済的に困窮状態ですので、まずは無料で始める。無料なら「はてなブログ」がいいらしい。やっと箱は手に入れました。
そこからまた、数週間が経ちます。自分の思いが言葉にならないのです。それでも、とにかく「ブログの先輩」たちは、異口同音に「書け」と言います。
赤ちゃんがつかまり立ちして、よろよろと歩き出すように、とりとめのないことをゆるゆると書いてみました。
恐々(こわごわ)です。で、2週間経って、誰にも読まれていない自分のブログを見ながら、最初は安堵していたのに、今は少し寂しくなっていることに気づきました。
それから、何を書いても、前職の、あの職場のことが常にひっかかっていることに気づきました。他人が読めば、決して面白い内容ではありませんが、一度、外に出す決心をしました。
ここから始めます。