初回投稿日:2019/09/21
[目次]
寅さんデビューはBSテレ東の「やっぱり土曜は寅さん」シリーズ
私は、今年まで「寅さん(男はつらいよ)」を観たことがありませんでした。映画はテレビで何度も放送されていたのに一度も、です。
私はテレビを集中して見ることがほとんどありません。いつもパソコンやスマホを触りながら、音だけ流している感じです。
シーンとした部屋では、テレビでもつけていないと、時々たまらなく寂しくなります。本を読むときは、雑音があると気になるので、消音にします。神経質で面倒くさい性分です(;^_^A
BSテレ東の「やっぱり土曜は寅さん」シリーズは、土曜日に時間を持て余した私が、何となく流しておく番組として選んだのが最初でした。
なぜ今寅さん?
番組の冒頭に「不適切な表現が含まれますが、作者の意思を尊重してそのまま放送します。」という内容のテロップが流れます。
それだけで「『寅さん』は昔の作品」だと印象付けられます。
・寅さんが公開されていた時代
映画版「男はつらいよ」は、昭和から平成にかけて公開されました。その前にはテレビドラマとして放送されたようです。
最終回では飛行機のことをさくらが「ジェット機」と言っていました。標準の表現ではなかったかもしれませんが、興味深いです。勿論「CA」ではなく「スチュワーデス」です。
・勝手なイメージ
私は、幼いころからテレビをあまり見せてもらえなくて、トレンドに鈍感な生活を送っていました。そのせいか、お説教じみたドラマが苦手です。見たら見たで、夢中になっていたかもしれませんが。
お説教も義理人情も、当時どんなに人の心をつかみ、動かしたとしても、時間とともにその正当性は変容するものだと思っています。
「男はつらいよ」をずっと昔の映画だと思っていました。しかも義理人情が前面に出たお説教ドラマだと勘違いをしていたのです。
当時の価値観や正義を押し付けられるのは嫌。寅さんをすっかり誤解していた私は、だから、寅さんを見ようと思いませんでした。一度も。
出張先がテレビのチャンネル数が少ない土地だと、必ずといっていいくらい放送されていたのが「男はつらいよ」です。見知らぬ土地でどんなに寂しくても、私は一度も見ませんでした。
・寅さんという人
寅さんが生きた時代は「高度経済成長期」から「バブル経済期」です。ホワイトカラーとブルーカラー。高学歴が高収入。
人を見定める基準が定型的になって、生き方に「当たり前なルート」が示されて、多くの人がそれを疑わなかった時代。
そんな時代に、寅さんは自分の立ち位置が「当たり前」から外れてしまった場所にあるとわきまえていました。反発もしないし、愚痴も言わない。勿論、誰かのせいにもしません。
無駄に足掻かず「ふーてん」として生きます。自分の生き方を正当化したり、矜持を示したり一切しません。
自分の境遇や時代の価値観を仕方なく受け入れるのではなく、そういった価値観の上を風のようにふわふわ漂う感じです。
そして、どこにも属すことのない身の上を少しだけ寂しく感じていた気がします。
・名台詞
BSテレビ東京の番組では、映画を放送する前に、少しだけ寅さんについて、歴史やファンの方の紹介などのコーナーがありました。
そこで、現役の受験生にインタビューした回がありました。現代にあって、寅さんのどこに魅かれるのかという質問に彼は「受験を控えた満男*1が、寅さんにどうして勉強するのか聞いたときの答え」に感銘を受けたと答えます。
台詞は確かこんな内容です。「(寅さんのように)勉強しなかったら、人生の決断をサイコロや風の吹き方で決めなきゃならない。勉強した人たちは、ちゃんと計算して生き方が決められる」
インタビューを受けた彼は、その回の寅さんを何度も見たそうです。そして、将来は、確か行政書士になるべく大学受験を頑張るのだと答えていました。
寅さんのあのセリフは、なぜか私の心にも残っています。
・山田洋次監督
東大ご出身の山田洋二監督が、寅さんを作りました。単純に市井の人々の日常を描くのではなく主人公は「ふーてん」です。
最終回。永遠のマドンナは旅回りの歌手、リリー。
それまでの寅さんの失恋の相手は、女医であったり、学校の先生であったり、ヨーロッパのツアーコンダクターであったり。いわゆる「才気走った」自立した女性が多くいました。
寅さんのお決まりの台詞の中にタコ社長が経営する町工場の工員への呼び掛けがあります。「労働者諸君!」「いつもと変わらず労働してるか?」
・フーテンとフリーランス
山田洋二監督が「男はつらいよ」で描いた世界について、私には言及することはできません。
ただ、学歴至上主義や、卒業したら会社員、といった定型にはまることが「生きる」ということではない、と教えてもらった気はしています。
人生はもっと味わい深いもの。私のように先が見えなくて震えているような人に、寅さんなら自然に寄り添ってくれる。
「フリーランス」と「フーテン」。カタカナで書くとちょっと似ている気がします。。。当時にはなかった働き方ですが。
「男はつらいよ」が描かれた時代に生き方が今のように多様になると想像した人は少なかったと思いますが、山田洋二監督には見えていたのかもしれません。
・主題歌
最終回の主題歌を八代亜紀さんが歌っていらっしゃいました。もしかしたら、他の回にもあったのかもしれませんが、私は渥美清さんの歌しか知りません。
いつか映画を見返したいと思って今回文章に残すことにしましたが、あらためて歌詞を確認して気づきました。(作詞は星野哲郎さんです。)
「目方で男が売れるなら、こんな苦労もかけまいに」
いつも聞き流していたので「こんな苦労はあるまいに」だと思っていました。価値観さえ違う世の中であれば、もう少しは楽に生きられるのに、という歌詞だと思い込んでいたのです。
「苦労をしない」ではなく「苦労をかけない」。いつも心の片隅にさくらやおいちゃん、おばちゃんなど、身内へのすまなさを抱えている。
いつの頃からか人生につきまとう哀愁は、自分に関わっている人たちへのすまなさからくるものかもしれません。
そうしようと思ったわけではないのに、どうも器用に立ち回れない。上手くいかない。巻き込むつもりはなかった人を、悲しませたり、泣かせてしまったり。
とうとう私にも寅さんの歌が「すとん」と胸に落ちるようになってしまいました。
・最終回は「寅次郎ハイビスカスの花 特別篇」
リリーの台詞が印象的でした。「 あたしたちの人生ってあぶくみたい」。私もです。
寂しい身の上のリリーに寅さんは普通の人間関係をくれます。それは正確に言えば、寅さんを通じて、とらやの家族やタコ社長が、ですけれど。
例えば、今回、リリーが病気で入院します。大騒ぎして駆けつけた寅さんは、さくらやタコ社長からのお見舞いの品、お見舞いのお金を彼女に渡します。
ひとりぼっちの人間にとって、一番不安で寂しいときに身内のように手を差し伸べる。私が見続けたいのは、こういう温かさではないかと思います。
毎回毎回、寅さんが出会ったマドンナは、それぞれ悩みや孤独、不安を抱えています。誰かの支えを望んでいるわけではなく、ただ、誰かにそばにいてほしい、そんな時にふらっと現れるのが寅さん。
日常に、もしそんな人が現れたとして、「そばにいてほしい」と素直に言うことは難しい。とても、難しい。
多分、寅さんには言葉はいらないのです。「ここで会ったも何かのご縁」でしょうか?寅さんは、もう大丈夫、そう思う絶妙なタイミングまでそばにいてくれます。
面倒な関係にはならないのに、場の空気で夫にも恋人にもなってくれる。寅さんは「フーテン」だから、「仕事は大丈夫?」なんて気づかいもいりません。
今、この状況になってやっと寅さんの魅力が分かった気がします。もし、目の前に現れてくれたら、今なら寅さんを選べるのに、なんて思ったりします( ´艸`)
今日が最終回。
ついに終わってしまいました。いつまでも続くような気がしていたのに。残念です。寂しい。なぜか心細くなる。来週からどうやって土曜日の夜をやり過ごしたらいいでしょう。泣けてしまいました。
「寅次郎ハイビスカスの花 特別篇」は渥美清さんが亡くなった後に公開された作品だそうです。
そして、2019年…令和元年の年末に寅さんが帰ってきました。
興味深いキャスティング
この映画がきっかけだったのでしょうか?
・沢田研二さんと田中裕子さん(第30作 1982年12月28日 花も嵐も寅次郎)
・長渕剛さんと志穂美悦子さん(第37作 1986年12月20日 幸福の青い鳥)
*1:寅さんの妹さくらの息子