初回投稿日:2019/09/23 最終更新日:2023/09/22
「なつぞら」天陽くんの死と父の死
ついにNHKの朝ドラ
「なつぞら」も終わりです。主人公なつの幼なじみの天陽くんが9月7日の放送でなくなりました。
その日の音声メモには
「『もうすぐ帰ってくる』それがドラマの天陽くんの最後の言葉*1 」と残っています。
父の最後
父が亡くなって、もう12年になります。決して優しい父親ではありませんでした。不器用で、わがままで気難しく、ともだちの家庭のように「パパ」などと言って甘えたことは一度もありません。
肺がんでした。父は一人、病院で診断を受け、家族には「余命1か月」と宣告されるまで黙っていました。その頃の父は穏やかで優しく、一生分の愛情を晩年に一度に注いでもらったような気がしています。
救急車で近医に運ばれた父は、すぐにICUに入ります。その後、総合病院に移るのですが、そこで私を手招きします。
父が私に言ったのは3つです。
「(ベッド脇の)引き出しの中にチョコレートがあるから食べなさい。」
私は、病的なチョコレート好きです。
それから
「この辺りは、乱暴な運転が多いから、舗道を渡らずに、タクシーで帰りなさい」
病院の前にバス停があるのですが、事故も多いので気遣ってくれたのです。
最後が
「寂しい思いをさせてすまん。もうじき帰るから、辛抱してな」
病状が悪化し、今日か明日かという状況でした。母が泊まり込み、私は毎日仕事帰りに病院に寄っていました。
その夜、父は亡くなりました。天陽くんの台詞は、父の最後の言葉と同じでした。
その日のことは、今でも鮮明に覚えています。忘れることはないでしょう。それでも、きちんと整理して残しておくことは難しかったかもしれません。
ドラマがそのきっかけをくれたような気がします。少しずつ、父のことを記していきたいと思います。
詩
昔、ある結社に所属して、同人誌に詩を書いていたことがあります。丁度、父が亡くなり、作品提出の締め切りと、確か、初七日が重なってしまいました。
何度も何度も編集長から電話があります。「今の状況では書けない」と言うと「一旦、作品を世に出すという決心をしたのであれば、締め切りを落とすことは許されないこと」と厳しく叱責されました。
プロとか素人とか、という問題ではない、とも言われたと思います。
その後、いろいろとあり、ほどなくその結社は辞めることになりましたが、苦しんで苦しんで書いた詩は、私の大切な一編になりました。
私には才能がありません。何かを書くときは、「鶴の恩返し」のおつうのように自分の羽をもがなくては織り上げることができないのです。
自分のブログに上げるのは問題ないと思うので、別で、当時の詩を投稿しました。
i-am-an-easy-going.hatenablog.com
音声メモ
ブログを毎日書くと決めて、ネタ切れにならないよう、ふと思い浮かんだことをスマホの音声メモを使って記録していました。
文字変換の精度はひどいものですが、手軽に記録できるので調子に乗ってブログの下書きとして保存しています。
私はブログを書くのがとても遅いのです。そのため、実際は、下書きメモは役立つどころかどんどん溜まって、次々に旬を逃していきます。
少しずつ、復元していこうと思います。
*1:表現は正確でないかもしれません。正しい台詞は調べることができていません。