朝夕は、すっかり秋らしくなってきましたが、日中はまだまだ日差しがきつく、厳しい暑さが残っています。
先日、アルバイト先で演劇のチケットをいただく幸運に恵まれました。チケットは2枚。1階の中央に近い、良い席です。
母はコンサートや演劇などに出かけることが大好きです。少なくとも、数年前まではそうでした。
今年、私は仕事を辞め、収入が途絶えてしまったため、自分の暮らしさえ覚束ないので、母に何かをしてあげることができていません。
思いがけないチケットを手にして、即座に母へプレゼントできると勇むような気持ちになります。
想定外の状況
滑稽な感じがしますが、一も二もなく受け取ってくれるだろうと、いそいそと母に電話をかけました。
が、予想外の反応が返ってきます。
まず、「2枚しかチケットがないと、普段お世話になっている方たちの中から一人だけ選んで誘わなくてはならない」歯切れの悪い返事です。
普段、母の話で一番よく名前を聞くお友達を誘えばいいと思っていたのですが。
それから「あなたと一緒が気兼ねがなくていい」と言うので、じゃあ私と一緒にと話はまとまったのですが、それから数日後に連絡が入ります。
億劫になった観劇
「朝夕は過ごしやすくなったとはいえ、日中の暑さに外出するのが不安だ」と言います。仮に気温が低く涼しかったとしても、日の落ちかける夕暮れに家に帰るのが気が進まないと。
要は、出かけるのが億劫になったのです。
暑さのせい。体力の衰えと気力の減退。
よくよく話を聞くと、少し前までイキイキとして通っていたはずのスイミングスクールも最近は休みがちらしい。
とはいえ、近年の猛暑では、年齢に関係なく通勤も含めて外出は体力的に厳しいものです。
一過性のものだと信じたい。
遠くなってしまった北海道と沖縄。
生前の父は、母が出かけることをひどく嫌って、母が外出すると帰るまで厳しく時間を見ているようなところがありました。
「亭主関白」と表現するのかもしれませんが、少しでも帰りが遅いと、行先や同行者が分かっていても激高して、鍵を閉め、家に入れないようなことも。
そういった状況を何十年も耐えてきたので、父が亡くなって暫くして、徐々に「縛られない」生活に馴染んでいった母は、お友達やご近所の方に誘われると子供のように喜んで出かけていきました。
「今度は、北海道か沖縄に旅行に行きたいわ」新聞広告や折り込みチラシを残しては、週末に実家に帰る私に見せていたこともあります。
それなのに「いつか」「いつか」と思っているうちに、時間だけが経ってしまい、ついに母は「北海道も沖縄もテレビで見るのが一番」と言い始めました。
母がいても、できない孝行。
電話で聞く母の声は、まだまだ張りのある若々しいものです。つい、娘としては、都合よく、老いていく親の姿から目をそらしてしまっている気がします。
母は、私には「お母さんは今が一番幸せ。誰にも気兼ねなく、思い通りに生活できる。」「お母さんのリズムで、”のほほん”と生きられる」と言っていましたが、いとこには「寂しい」と漏らしたこともあったようです。
母娘であるからこそ、言えない(聞けない)ことがある。何を望んでいるのか。何ができるのか。
どんなに親を思う気持ちがあっても、形にしてきちんと届けるのは難しい。いつまでも同じ状況、同じ思いでいてくれるわけではないのですから。
一人で芝居を観た日から、また、ぐるぐると同じことばかりを考えています。
おまけ
「親孝行、したいときには親はなし」という言葉がありますが、もともとは「孝行のしたい時分に親はなし/石に布団は着せられず」という江戸時代の川柳からきたもののようです。