短歌を読んだことがありますか?今読みたい歌人・短歌10選!
初回投稿日:2019/10/24/000000
いろんな状況で、行き詰まりを感じたり、息苦しさを感じたり、絶望感に襲われたりして、もう二度と立ち上がれないと思うことがあります。
そんな時、短歌を読んで救われたことがありました。写経のように心に響く短歌をノートに書き写して、何度も何度も読み返しているうち、大きく軌道を外れたかに思えた生活がもとのリズムに戻っていったのです。
ふと思い立ち、今心に響く短歌を紹介してみることにしました。あまり多くてもいけないので、まずは10歌選びました。
紹介したい歌人・短歌は他にもたくさんあります。いつかまた、紹介させていいただきたいと思います。
歌人、短歌は『現代の短歌』高野公彦編から選びました。
※この記事は2019年10月6日に公開した記事を加筆修正したものです。初回投稿日:2019/10/24/000000
- 岡本かの子
- 初井しづ枝
- 山田あき
- 生方たつゑ(うぶかた たつえ)
- 坪野哲久 (つぼの てっきゅう)
- 斎藤 史 (さいとう ふみ)
- 山崎方代(やまざき ほうだい)
- 安永蕗子 (やすなが ふきこ)
- 馬場あき子 (1)
- 馬場あき子 (2)
- おわりに
岡本かの子
(明治22年ー昭和14年)
はてしなきおもひよりほつと起きあがり栗まんじゆうをひとつ喰べぬ
どんなに深い悲しみに沈んで、何日も何日も泣きながら眠ることがあっても、食事が喉を通らなくなることがあっても、いつかは空腹を感じる。
死んでしまいたいくらいの思いに捕らわれていても、体は自然と生きようとして食べ物を欲する。
「ほつと起きあがり」という言葉には、「うじうじするのはもうおしまい」と立ち上がる強さが感じられます。それと同時に、こんなに深い悲しみの中にいてなお、自分自身の身体の中から湧き上がる「生きようとする」力に戸惑ってもいる。
死んでもいいと思うような失恋をしたときに、この歌が気持ちを切り替えるきっかけになりました。
岡本かの子は、あの「太陽の塔」を作った岡本太郎さんのお母様です。激しい気性の持ち主だったらしく、彼女の歌の中には赤色がよく出てきます。
初井しづ枝
(明治33年ー昭和51年)
年齢(とし)問はれて心のうちにゆるるものその折々に異なるを思ふ
あまり知られていない歌人かもしれませんが、この歌に共感する方は多いのではないでしょうか。
自分のことを「ぶれない」と思っていても、時間と共に自分を取り巻く環境は変わり、気づかぬうちに考えや感じ方は変わっていきます。
信念とまではいかなくても、好き嫌いや譲れないものも変化していくのです。
変わるものは内面だけではありません。
自分の容姿や体力の衰えは、ある日突然、気づかされます。
凛としていたいと思っていたはずなのに、不意に人から年齢をたずねられて、言いよどんでしまう。そんなことは誰にでもあるはず。
そう「誰にでもあることだ」と思いたい、と弱気になった歌です。
山田あき
(明治33年ー平成8年)
みずからの選択重し貧病苦弾圧苦などわが財として
こちらの歌人もあまり知られていないかもしれません。以前の私は、この歌を書き写したりはしませんでした。
今は、身につまされる歌です。私の場合は、会社を辞め、会社員を辞める、という選択をしました。
この、自分の選択が自らの生活、自らの人生を苦しいものにしてしまった。逃れられない苦しみならいっそのこと財産にしてしまおう。
この歌からは、どこにもぶつけられない怒りを現状と一緒に身の内に収めて開き直る覚悟が窺えます。先行きの暗い人生をただ諦観するのではなく、「誰にも頼らない。全て自分の責任です」と胸を張っている。
潔く生きたい、凛としていたい、とずっとそう思っていました。この歌は、そんな私に、潔く生きること、背筋を伸ばし凛としていることは、これほど厳しいことなのだと教えているように冷たく響きます。
生方たつゑ(うぶかた たつえ)
(明治38年ー平成12年)
「平凡に生きよ」と母が言ひしこと朱の人参刻めば恋ふる
作者は明治生まれで、戦中戦後を生きています。私が「平凡」という言葉をここで使うのは少しためらわれますが、身につまされるのです。
私の母も、私が「平凡に生きる」ことを誰よりも願っていました。今はあきらめるしかない状況ですが。。。
学生の頃使っていた生物学の教科書の前書きだったと思います。「本来、ヒトは『生まれて、産んで、育てて、死ぬ』この4つのサイクルを生きる生物だ」という意味のことが書かれてありました。
私は一時期、この言葉に捕らわれて苦しくてなりませんでした。この世に生を受けたら、次の世代に命をつなぐ。これこそが生まれてきた者の使命。これを「平凡」と表現するのなら、なんと偉大なことであるか。
ずっとどこかで微かに後ろめたさを感じるのは、何歳になっても私が「生まれる」ことしかできていないからです。
「平凡」という言葉は、他人から言われるときは「面白みがない」という意味が含まれる、20代のころはそう思い、「非凡」であることに憧れていました。
「平凡」の意味が分かるようになった今、固い朱色の人参を刻むときのまな板と包丁のぶつかり合う、重く硬質な音が聞こえてくるようです。
坪野哲久 (つぼの てっきゅう)
(明治39年ー昭和63年)
われの一生(ひとよ)に殺(せつ)なく盗(とう)なくありしこと憤怒のごとしこの悔恨は
野心を胸の奥に仕舞って平凡に生きることを選んだら、人生が終わるまで仕舞った野心が燻り続け、仕舞ってしまった自分自身を心のどこかで責め続けるのだ、と呻くような声が聞こえてきます。
平凡は人生を支配する魔物かもしれません。
選んでも、選ばなくても、終るまで付き纏って「これでよかったのか」と問うてくるのです。
「たら」「れば」で考えることは愚かです。それでも、ふと「あのとき、あちらの道を選んでおけば」と考えてしまう。
この歌からは、極限の選択をせず、本人にとって安楽な選択をしてしまったことへの強く深い後悔が痛いほど伝わってきます。
斎藤 史 (さいとう ふみ)
(明治42年ー平成14年)
この病気*1 では死にませんよといふなれば生きる算段をせねばならず
日々不安な状態の生活を送っていたり、何かに追われるような生活を送っていたりすると、明るい未来を思い描くことが難しくなります。
突発的なトラブルに見舞われなくても、暗い穴の中に落ちたような感覚に襲われることは、誰にでもあることかもしれません。
この歌を読んだとき、ある光景が浮かびました。
この歌の主人公は、生活に困窮しています。今日食べるものさえ乏しい生活です。「この生活は一体いつまで続くのだろう。ああ、生きるのはなんてしんどいものなのだ」と疲労困憊していると、或る日、ヘルペスができてしまった。
彼女はヘルペスを知りません。
「これは死に病かも」と病院に行きます。
彼女は少しだけ期待していたのです。「この生活の期限(終わり)がわかるかもしれない」と。
無情にも先生は言います。「ヘルペスじゃあ死にませんよ」
彼女はしかたなしに生きることを考えるのです。
先が見えない。夢も希望もない。こんな人生、捨ててしまえたらどんなに楽か。
「それでも生き続けるのですよ」とこの歌が言っている気がします。
山崎方代(やまざき ほうだい)
(大正3年ー昭和60年)
一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております
この歌は、ただただ好きな歌です。20代のころからずっと。何度読んでも、大好きです。
人に言えない思いは誰にでもあると思います。「バレると困る」と言った不都合な種類のものでなく、そっと心のうちに湧いてくる思い。
言葉にはできないけれど、誰にも打ち明けられないけれど、決して消えない思いは、一人胸に秘めておいたつもりでも、伝わってしまう。
平清盛は
しのぶれど色に出でにけりわが恋(こひ)は ものや思ふと人の問ふまで
と抑えきれない恋心を歌いました。けれど、山崎方代の歌は、抑えきったのだと思います。決してだれにも悟られない。ただひとつ、南天の実を除いては。
忘れていた苦しい恋の時間が蘇るようです。
安永蕗子 (やすなが ふきこ)
(大正9年ー平成24年)
朝に麻夕には木綿(ゆふ)を逆らわず生きて夜ごとの湯浴み寂しゑ
何度読んでも泣けてきます。
決して何かに抗ったり、反骨精神旺盛に生きてきたわけではありません。学生の頃から一度も規則を破ることもなく、従順に生きてきました。
「平凡」の二文字に敏感に反応した時期もありました。「平凡」よりも「不良」や「奔放」が優れているように感じていたのでしょう。
それでも、世の中の流れに逆らうことなく、一日一日過ごしてきました。それが、気づけば一人だけ取り残されて、一人ぼっちです。
皆それぞれ家庭を築き、年を重ねているのに、いつの間にか私だけはぐれてしまった。
夜になればお風呂に入って眠りにつく。やがて朝がくれば、目覚めて、食べて働いてまた夜を迎える。
単調な繰り返しの中に一人取り残されてしまったことを、作者は「寂しい」と歌の中で素直に言い切っています。
人にこんな話はしづらいけれど、歌を見つけてしまいました。会うことのできない作者に寄り添い、寄り添われるような気持になる歌です。
馬場あき子 (1)
(昭和3年ー)
さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり
この歌の解説をいつだったか、新聞で読んだことがあります。そこには、老いてなお、体内を水が勢いよく流れるかのように力強い生命の息吹が感じられる。生命力への讃歌だ。という内容が書かれていたと思います。
けれど、私は、何度読んでも違う解釈をしてしまいます。
恋の歌。
ああ、満開のこの桜の木は、一体いつになったら枯れ木となるのだろう。古木だと皆言うけれど、今年もまたこんなにたくさんの花を咲かせている。
私も、いつになったら老女となって、人を愛する狂おしさから解放されるのだろう。こんなに年をとってもなお、これほど人に恋焦がれる思いが体中を駆け巡っている。
そんな風に読めてしまいます。何度読んでも。そして、苦しくても、そんな人生に、まだ私は憧れてしまうのです。
馬場あき子 (2)
(昭和3年ー)
迷いなき生などはなしわがまなこ衰うる日の声凛とせよ
人としていかに生きるか、の指標としている歌です。
20代のころは、「老眼が始まったら、背筋を伸ばして自分の老いを堂々と受け入れたい」と思っていました。
中学生の頃、母が真っ暗な部屋で泣いていたことがあります。原因不明の頭痛に悩まされていたのが、近所の人に勧められて眼科に行ったら「老眼」と診断された。
バタバタと子育てに追われているうちに老いてしまった、ということを受け止めかねてハラハラと涙をこぼしていたのです。
「私なら泣かない。自分の人生にはちゃんと責任をもって、自分の身に起こることは全て受け留めて凛としていたいの」
何もわかっていない私は、生意気にもそんな風に「老い」について考えていました。
いま、凛として生きることの難しさを痛切に感じています。
「迷いなき生などなし」この言葉が救いであり、「凛とせよ」で背筋が伸びます。
バシッと背中を叩かれて、発破をかけられているような気分になる歌です。
おわりに
短歌は、身近で、そして切実な文芸であると思います。
行き詰まりや孤独を感じて身動きが取れなくなってしまったときに、歌集を読めば、自分が今いる場所は、既に通った人のいる道の途中なのだと教えられるのです。
今回は時代や作品の文学的解釈は置いておいて、ただ、今の私の心に響く歌としてここに挙げてみました。
紹介した短歌を集めているのは『現代の短歌(高野公彦編)』(講談社学術文庫)です。
明治から昭和の時代に生きた作家たち105人の歌が収められています。31文字(みそひともじ)に広がる世界の広さに、何度読んでも圧倒されます。
岡本かの子の亡くなった年に第二次世界大戦がはじまりました。今回採り上げた作家のうち、岡本かの子以外は全て第二次世界大戦を通り抜けてきています。
それぞれの歌の解釈は、文学的には時代背景から読み解くのが正しいのでしょうが、記載した内容は文学的レベルのものでなく、まったくの個人の感想、独りよがりな解釈です。本来の読み方からは外れているかもしれませんが、ご容赦ください。
世界が不穏な空気に包まれている今、日常生活も不安に覆われています。ふたたび読み返して、この文芸に助けを求めたい。きっと新しい気づきや勇気を与えてくれるはずです。
【そのほかの短歌】
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*1:ヘルペスを病む