むかしむかしに読んだ本です。(これから書く内容は、記憶によるところが多いので曖昧な箇所があります。また、機会を見つけてリライトします。)
私が読んだ頃は「時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語」なんて、そのまんまな説明は載っていなかった気がするのですが、手元に本がないので、すぐには確かめられません。
著者は、ドイツ人作家ミヒャエル・エンデ。映画「ネバー・エンディングストーリー」の原作「はてしない物語」の著者として有名です。
物語は、「時間」の価値について、5歳の女の子モモと時間泥棒との闘いを通じて描いています。
確か、モモは浮浪児で、イタリアのコロセウムのようなところに住んでいる。町に住む人たちは、季節の移ろいや、日々の生活を歌や詩や音楽にして過ごしています。
ある日、皆が安穏と暮らしている町に「時間」を貯金する銀行ができます。その銀行では、穏やかな暮らしを送る人々の穏やかな時間を貯金させる。
「時間銀行」を利用した人々は、歌うこと、詩を作ること、演奏すること、日々の美しい時間を「時間銀行」に貯金するため、あくせくと働き始めます。
町はあっという間に殺伐とします。悠長に音楽を奏でたり、歌をうたう行為を人々が憎むようになったからです。「時間がもったいない。」
時間銀行に預けられた町の人たちの時間は、「灰色の花」にされて保管されています。「灰色の花」は砂でできていて、手にした途端、崩れてしまう。
一旦、手放した時間は、元に戻すことはできない。
時間銀行に預けられた時間について知ったモモは、人々から穏やかな時間を奪う「時間銀行」に乗り込み、皆が預けた時間を取り返すことを決意します。
こんな話・・・だったと思います。
私が折に触れて思い出すのは、モモのともだちであり、理解者、味方である清掃員のベッポじいさんのことばです。
ああ、今日もこんなに長い道路を掃くのかと思うと、果てしなくて無理だと思ってしまう。そんなときは、足元だけ見るんだ。
ひと掃き、ひと足、ひと呼吸。
これを繰り返しているうち、ふと、後ろを振り返ると、きれいになった道路がずっと続いている。
ああ、もうこんなに来たか、と思うのだ。
私は、先の見えない状況になると、ベッポじいさんを思い出します。そして、今、できることだけを考えるようにするのです。足元だけを見る。
ベッポじいさんに、何度となくピンチを救ってもらいました。
そして、また、私は長い道路の上に立っています。
ひと掃き、ひと足、ひと呼吸。
集中して、足元だけを見て。きれいにできるだろうか。不安な時のおまじないのことば「ひと掃き、ひと足、ひと呼吸」。
ずいぶん記憶が古くなりました。書きながら不安になってきたので、また、読み直そうと思います。なるべく早いうちに。。
『モモ』も『ネバーエンディングストーリー』も映像化されています。
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