最近耳にすることも多くなりましたが、私が「線維筋痛症」と診断されたのは今年の梅雨明け間近の7月頃でした。
会社は明日が仕事納めです。年末最後の土曜出勤。多くの人が仕事納めの今日、会社を休みました。体の痛みと異常な眠さのせいです。
けれど、会社には「風邪で休む」と連絡をしました。それも嘘ではありません。喉の調子も悪く、風邪気味です。ただ、線維筋痛症であることは伝えていません。
病名が少し認知されるようになったからといって、周囲に理解されるわけではないからです。
この病気の辛さについて、私の状況をもとに少しまとめてみます。
症状について
1年半くらい前から、全身が痛いのです。痛さは、ピノキオになった感じ。全身が木製になった感じです。動かす度、どこもかしこも痛い。
但し、徐々にだった気がします。思い出せる限り、痛くなった順番に記してみます。
首
首は回りません。お金のメタファではなく、本当に回らないのです。左右に回そうと思うと、首から肩甲骨にかけて痛いと言うより固まってしまったようです。
上にも向けません。唯一何とかなるのは下に向くことだけ。項垂れる姿勢だけはできました。ぐるぐると首を回そうとすると、ポキポキと音が聞こえてきそうです。
肩
当然、痛い。首から肩。首を回そうとすると電気が流れるように肩までビリビリと痛みます。
肩甲骨にまで痛みを感じるときは、吐き気も漏れなくついてきました。
腕
上がりません。これは年齢肩かなとも思いましたが、腕を上げようとすると肩から上腕部にかけて鉛のように重く、ドライヤーが持ち上げられない。
ただ、救いだったのは片方ずつでした。最初は左腕。利き手が右なので日常生活はなんとかなりました。
頭
朝、起きあがれません。頭が重くて、自分の腕の力では、持ち上がらない。この症状が出た時、はじめて痛みで涙が出ました。
身動きがとれず、救急車も呼べない。
ただ、この症状は、身体が温まってくると徐々に治まり、ひどい肩こりの状態にまで戻ります。当時はロキソニンを飲みながら、パワハラを受けに会社に通っていました。
はじめての受診
内科(かかりつけ医)
まず、かかりつけの内科を受診しました。優しい先生は、真剣に症状について聞いてくれました。その頃には、手も痛くなっていました。
左手首の付け根、親指の付け根。右の人差し指。こちらは、気づかぬうちに少し歪曲しています。
先生は、まずリュウマチを疑いました。それから甲状腺の異常。肝機能、腎機能についても検査します。
検査結果は全て異常ありませんでした。
これ以上は、専門外だということで、整形外科の受診を勧められます。近医ではどこがあるかと聞いたところ「整形外科はあまり知らないけれど、〇〇先生のところは、患者も多いと聞いたから、行ってみるといいよ。」
なぜか紹介状は下さいませんでした。
整形外科(初診)
ここは最悪でした。二度と行かないと強く心に誓った医院です。
「紹介状もなしに、いきなり来るなんて、ホント非常識」
これが受付の言葉です。今でも忘れません。衝撃です。朝、一番に行きました。8時半から診察、とあったので、8時過ぎに伺って、「初めてですが、よろしいですか」と聞きました。
その時に受付に言われた言葉です。それから、初診のため、いくつか問診票のようなものを記載し、提出し、いちいち溜息付きの対応を受け、診察していただけたのは12時回ってからです。
他の患者は、学生が多い。クラブ活動での捻挫などのケガの患者が多いようでした。彼らが来る度、そう若くない受付の女性は「〇〇君!いらっしゃい!」といちいち手を振っていました。
待合の時計は止まったままでした。
やっと診察室に入って状況を伝えると、何枚もレントゲンを撮られましたが結果は「異常なし」です。
そのとき先生が言ったのが「どこも悪くなさそうだけど、もし通いたいんなら、うちでリハビリしてるから、そこに来なさい」です。
口にはしませんでしたが「結構です」と思いました。
膝
暫らく、何も対応できないまま日にちが過ぎました。仕事は続けていました。出張にも行きます。荷物の多い出張は辛かったです。
空港はまだいいのですが、新幹線のホーム、在来線の駅などは階段が多い。エレベーターやエスカレーターが利用できるところばかりではありません。
ある日、膝が浮腫んでいることに気づきます。はじめは太ったせいだと思っていましたが、曲げ伸ばしのたび、腿の前面から膝にかけて突っ張るような痛みがあり、自然な立ち居振る舞いが難しくなりました。
一度しゃがむと余りの痛さに、どうやって立ち上がったらいいかわからなくなります。実際には、腕の力で、何かを支えにして立ち上がっています。
その頃には、腕の方の痛みは随分和らいでいました。
ただし、年齢肩ではないとの診断でした。くだんの整形外科での話です。年齢肩の痛みはもう少し違う部位で出るようです。
体温
子供の頃から平熱が低く、大人になってもずっと35.3度です。それが、ある夜、胃の辺りが冷たくて、心臓がドキドキして目覚めます。
寝ているのに「これはマズイ」と思います。体温を測ると34.7度。
それから、何度か同じ経験をします。
婦人科(初診)
その頃から、ホットフラッシュと呼ばれるような症状が出始めます。突然、体中が熱くなるのです。
漢方を専門に処方する婦人科が近所にあるので、受診してみました。その時、今までの症状も伝えます。
そこでメルスモンの注射を勧められて、続けてみることにしました。漢方薬は、暫く飲んでみましたが、飲みづらくて1か月続けられず、注射だけで様子をみることになりました。
ホルモンバランスが崩れる年齢になると、低体温による高血圧など、様々な症状が出てくるそうです。
併せて腎機能や肝機能の低下もみられるらしく、そのため身体が浮腫むこともあるそうです。浮腫みを太ったのだと勘違いすることも多いそうです。
身体が浮腫むと痛みを感じることもあるので、暫く様子をみましょう、ということになりました。
今年の夏
婦人科を受診してから、随分と調子が良くなります。完全に痛みを感じないわけではありませんが、浮腫みは治まり、暫くは痛みが和らいだ気がしていました。
ホットフラッシュのような症状も緩和され、体温も35度を下回ることがなくなりました。
会社では、パワハラがエスカレートし、つい昨日まで普通に会話し、相談を受け、急ぎの資料を作成して助けてあげていた女性社員からひどい仕打ちを受けます。
驚愕している私に彼女は、肩をすくめて舌を出して見せました。
信じられますか?肩をすくめて舌を出す、なんてポーズ、安物のドラマかコントぐらいでしか見られないものだと思っていました。
実生活でそんな安っぽい仕草をして見せる人がいるなんて。彼女は「女性活躍社会」の代表として、会社の広告塔のような役目を今しているようです。
その頃、私は、交差点のまん真ん中で足が動かなくなります。
全身が硬直したようになって、信号が変わる直前に立ち尽くしてしまったのです。信号が点滅から赤になる瞬間「死ぬ」と思いました。
這ってでも渡り切らないと。
そう思った記憶しかありません。動かないのは左足でした。引きずるように、何とか渡り切ったあと、これは放置しておいてはいけないと思いました。
新しい整形外科
インターネットでいろいろと調べているうち、患者の口コミなどは全くありませんでしたが、近くに整形外科を1件見つけます。
とにかく行ってみよう。一か八かの気持ちで出かけました。事前に電話をかけたときの受付の応対は可もなく不可もなく、でした。
先生が若い。
とても丁寧に話を聞いてくれます。そして正確にメモなさいます。最初の治療は膝の浮腫みを取ることでした。
高齢の方は膝に水が溜まったりするらしいのですが、私の場合は、完全に浮腫みだということで生れて初めて膝に注射を打たれます。
これが驚くほど効きました。帰り道、スキップで帰りたくなったほどです。
けれど、これはあくまで浮腫みを取るためのもので、完治につながるものではありません。
レントゲンも念入りに撮りましたが、そこには異常は見られませんでした。血液検査も同じです。内科の先生と同じ病気をその先生も疑いましたが、検査結果からは何も見つかりませんでした。
診断について
1か月くらい通ううちに、私の状況を知った先生がおっしゃいました。
「多分、あなたは線維筋痛症だと思います。原因も治療方法もまだ確定されていませんが、それでも高い確率で原因の1つとして考えらているのがストレスです。長い期間ストレスをがまんしていると、脳の中に痛みの因子ができるのです。
痛みの因子は、普段の動作、なんでもない動作を脳に”痛い”と信号を送るのです。そのため、日常の動作をするたびにあなたは"痛い"と思ってしまう。
けれどこれは、誤った信号のせいなので、レントゲンにも血液検査にも異常は認められないのです。」
そのあと「辛かったですね」と言ってくださいました。
治療方法について
治療はまず、飲み薬としてステロイド剤を処方されました。これは、最初、多めのステロイド剤を飲んで、症状を見ながら飲む量を少なくする、という方法です。
ステロイド剤なので、長期治療はできません。毎週通うことにしましたが、2週間目には、効果なしと判断され、新薬を試すことになります。
これは、身体に合わないと副作用がすぐにみられるものでした。そして、私には合いませんでした。吐き気とめまいがしたのです。
その後、先生が私におっしゃったのは、「現在の医療では、他に目新しい治療方法はありません。今できることは、ストレスの軽減と筋肉をつけること。痛みが激しいときはがまんせず、鎮痛薬を飲むこと。定期的に通って様子を教えてください」と言うことでした。
そこでやっと私は、会社を辞める決心をしました。社内のカウンセラーにも会いました。そして、パワハラについて上司に話し、中途半端な謝罪を受け、会社を辞めたのです。
生活について
先日、線維筋痛症であると発表なさった八木亜希子さんは暫く入院なさるそうですが、私はとりあえず、普通の生活をしています。
治療方法も診断も確立されていないこの病気は、痛みも個人差があります。そして、その差が目で見える形で確認できないところが厳しいところだと思います。
普通に生活できている私は、軽い方なのかもしれません。
職場での難しさ
新しい職場は、マンションの一室を事務所にしています。病名を伝えても、良く知られた病気ではないため、説明しづらいし、特に体調について聞かれることもなかったので、病気については何も言っていません。
当然、小さな職場なので、社員で掃除をします。
社長は私に「掃除機を担当して」とおっしゃいました。他にトイレ掃除やゴミ出し、段ボールなどの資源ごみをまとめたりするのは男性社員がする、と聞いていました。
膝の痛みから解放されてから、今悩まされているのが腰痛です。
腰骨から尾骶骨にかけて、24時間ずっと痛みを感じています。ピラティスやヨガのポーズで腰のストレッチをして凌いでいますが、短時間で走り回るような会社の掃除はきつい。
それでも、社長の割り当てならなんとかなっていたのです。
さすがに、机上の拭き掃除だけだと肩身が狭いのですが、掃除機をかけていたら役割をしている気分にもなれる。
ところが、社長のいないときを見計らって、男性社員の1人が、他の掃除もするよう言ってきます。ゴミ出しの準備、ゴミ出し。
段ボールをまとめたりトイレ掃除。男性社員担当と聞いているもの全部「お前がやれ」と。そして掃除機を私から取り上げて自分が使います。
お茶出しや水回りは当然私です。
ムッとしましたが、彼には有無を言わさない強さがあります。しかも、私自身も、最初、説明を受けた役割分担に少しだけ「ラッキー」と思ったことをどことなく後ろめたく感じていたので、抵抗はありましたが、反発はできない。
マンションなので土足厳禁。いちいち脱いだり履いたりの動作は、かなり身体にきつい。
そんなモヤモヤした状況が続くと、寝つきが悪くなります。疲れているのに眠れない。その後に来るのが日中の異常な眠さです。
そんな感じで、今日、休むことになりました。
線維筋痛症に罹患した人の多くは、不眠や鬱の症状を併発するようです。不眠の結果、鬱症状が出るのかもしれませんが、分けて考えられることが多いようです。
とにかく、立っていられないくらいの異常な眠さです。朝、会社に休む連絡をした後、目覚めたらお昼を回っていました。
自助努力
私のように金銭的に余裕がない場合は、病気を理由に職場を追われることが一番の不安です。
病名はついても、治療方法がなくて病院にも見放されて、収入のあてもなくては、どうやって生きていけばいいのでしょう。
幸いにも、私の場合は、何とか日常生活ができています。ストレスの根源も除去しました。
痛いのを無理してのエクササイズは厳禁だそうですが、筋力は痛みを軽減するそうです。
つける薬がないのであれば、自分でどうにかするしかありません。
私は、体温を気にするようになりました。根菜類を意識して摂るようにして、できる限り生姜など常備できるものは常備する。下半身が冷えないように着るものにも注意する。
無理のない範囲で、ストレッチや筋トレを行う。怠けものの私は、なかなか徹底できていませんが、朝はストレッチをしないと起きられないので、毎日少しずつは何かしています。
普通の生活を続けるためには、自分で努力することが大切なようです。