迷子の日記。行ったり来たり。

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【本の紹介】『夜また夜の深い夜』by 桐野夏生

年末年始、実家に帰るために準備した本の1冊です。桐野夏生さんの著作。怖いけれど、どんな状況でも (^-^; 集中できると思って選びました。

 

 

冒頭は、書簡体小説を思わせます。主人公の少女マイコは、母親の都合で居所を転々とし、友達もいない孤独な生活を強いられています。そんな環境を、会ったこともない相手に手紙を通じて告白するのです。

 

ふと、以前読んだ江国香織さんの『神様のボート』を思い出します。母親の都合で引っ越しを余儀なくされる娘は、やはり孤独でした。

 

i-am-an-easy-going.hatenablog.com

けれど、相手は桐野夏生。一筋縄で行くわけはなく。。。

 

桐野夏生さんの著作を1作でも読んだことのある方は、タイトルだけで何となく想像する世界があるのではないかしら、と思います。

  

果たして、自分が自分であることの証明は、何をもってすればできることなのでしょうか。

 

物語では、私たちに当たり前にあるものを一つずつ奪っていきながら、読者に問うてくるようです。

 

例えば「顔」。

 

彼ら親子は、イタリアのナポリ、と言ってもスラム街のようなところで路上生活より少しマシな暮らしをしています。

 

母親は、突然いなくなったかと思うと、マイコが餓死する寸前に戻ってくるのですが、その度、顔が変わっているので、マイコは自分の母親かどうかも確信が持てません。

 

例えば「名前」。

 

母親は、何かから逃れるように整形を繰り返し、それに合わせて名前も変えます。主人公のマイコは、自分の名字を知りません。

 

例えば「国籍」。

 

自分の名字さえ教えられないのですから、自分の父親も、そして自分の生まれた国さえ知らずにマイコは育ちます。 

 

途中から、これは「オウム真理教」の事件をモチーフにしているのかと思いますが「オウム真理教」事件は物語の後半にそのまま出てきます。

 

物語では、「苦真離教」という淫祠邪教*1が出てきます。

 

「苦真離教」は宗教の名を語った犯罪組織です。その教祖の愛人が母親。教祖は、殺人や詐欺で逮捕され、死刑が確定しています。

 

その教祖が隠している財産を母親が預かっているのでは…。

 

母親は、日本で顔が報道されているため、整形を繰り返しながら世界中を逃亡している。主人公のマイコも、成長するにつれ、どんどん母親の素顔(本来の顔)に似てくるので、整形させられそうになる。

 

そんな漆黒の闇のような生活から主人公は逃げ出すのですが、初めてできた友達との生活もやはり闇の中です。

 

幼く学もない彼女たちには、盗みや大人の犯罪に加担するしか生きる術がありません。結局、地下に住みつき、常に何かから逃げながら生活するのです。

 

明るい場所を求めるのに、夜の先には別の夜が待っている。

 

「生きること」は、私たちが思っているよりもはるかに、システマティックなことなのだと、ふと気づかされました。

 

誰から生まれて、どこで生まれて、名前は常に姓名がセットになっていて。

 

私たちは、町、市、県、国にそれぞれ届け出をして、認知されていなければ、明るい場所で生きることはできないのです。

 

仕事を辞めて、求職する気にもなれず、暫く無職であったころ随分苦しめられたことの1つに市県民税の支払いがありました。

 

他に、国民年金国民健康保険。収入がないのに払わないといけない。真綿で首を絞められて、大げさでなく「このまま死んでしまうのか」と不安になりました。

 

そんな経験をしたあとに読むと「夜」の意味が分かる気がします。

 

決められた届け出をして、定期的に決められたお金を納める。些細なことに思われるこれらのことをきちんと行うことで私たちは、存在を許される。

 

社会のシステムから少しでも外れると、あっという間に今いる場所が奪われてしまいます。テレビなどで騒がれているニュースを見れば、案外、このシステムから外れるのは簡単かもしれない、と思います。

 

そして、生物として生き延びることと、人として生きていくこととの間には、気の遠くなるほどのシステムが存在しているのです。

 

色々なことを感じ、考え、行動している「個」としての自分。確かに存在しているのに、顔や性別などの見た目や出自がなくなると、簡単に世間から抹殺される。

 

当たり前と思っているシステムを取り払って生きようとしたら、こんな生活がまっているのですよ、と言われているような、ゾッとする小説でした。

 

ただ、真相に近づいたマイコが、本当の顔の片鱗も窺えなくなった母親、不審だらけの母親を最後まで思いやるところに、生きることの奥深さを感じました。

 

血縁への「情」と言うものは、理屈ではない。どんな出自であっても、一度生まれてきてしまったら、死ぬまで背負い続けなければならない。まるで、皮膚にぴったりと張り付いて、はがそうとすると血まみれになってしまいそうです。

 

一度生まれてしまったら、全くの別人になって生きることはできないのだと、マイコを見ながら感じました。

*1:インシジャキョウ。好ましくないとみなされた宗教に対する名。