【本の紹介】高野悦子 著『二十歳の原点』
初回投稿日:2020/01/13/220010
友人から新年のご挨拶LINEが届いて、3~4年ぶりに会う約束をしました。場所や待ち合わせ時間などどうしようかとやり取りしていると、「この日成人式じゃない?お店大丈夫かしら」とメッセージが届きます。
ふいに高野悦子さんの『二十歳の原点』を思い出しました。4年前にも読み返していたようです。
昭和44年6月24日、20歳の高野悦子さんは線路に身を投げて、自らその一生を終えてしまいました。
学生運動が盛んな当時、立命館大学の学生であった彼女は、時代や政治や教育や様々なことに疑問を抱き、恵まれた身の上に安穏とすることなく問い続けます。
日記を公開するということ
彼女は、その苦悩を日記に記します。紛れもない想定する読者は自分自身です。
日記は、父親の手により編集され、更に出版社が散逸するメモを加えて丁寧に補填し、一冊の本にまとめられました。
けれど、これは決して本人が望んだことではありません。
読者は、一日分の彼女の日記を読み終えると、一日分彼女が死に近づくことを知りながら読み進めます。
本書は、高野悦子さんが亡くなった年の始めの昭和44年1月2日から亡くなる2日前の6月22日までの彼女の日記です。
本人に断ることもなく日記が書籍化されたことにより、縁もゆかりもない私は、高野悦子さんを知ることができました。
高野悦子さんが平凡な人生を送っていれば、私はその存在を知ることもなかったのです。
彼女がなくなって約半世紀が経ちます。
私は現在、人に読まれることを想定して日記を書いています。読者は、インターネットを使う知らない人たちです。
高野悦子さんの日記と決定的に違うのは、他人に読まれることを想定しているか否かです。
私の場合、どなたが読んでくださるかわからないことを前提にしているので、表現には配慮が加わります。気持ちが波立っているときは、表現も極端になり、独善的にもなるので、一旦下書きに保存して、公開はしません。
彼女は、赤裸々に書きます。学生運動の最中、彼女は、死に自らどんどん近づいていく様を生々しく綴っています。
彼女も時には、自分の日記を誰かに見せようかとも考えます。救いを求めて。赤裸々な自分を誰かに見せることで安楽になれるのではないかと、ほのかな期待が過(よぎ)るのです。
けれど、彼女はそうしなかった。そして最後の日記には、死の匂いを漂わせながらも、決意の文面(遺書)は残されていません。
長い鬱状態だったのか。衝動的な自殺であったのか。もし日記が誰かに見せられていたら彼女は死ななかったのか。何もわからないまま、ぽつっと途切れるように日記は終わります。
ブログを書くということ
私の平凡な日常でも、世の中の大勢の中の一人くらいには、何かしら興味を持ってもらえたり、役立てていただけたりする情報があるかもしれない。
拙文がきっかけで紹介した商品が売れて、収入が得られたら。これが新しい働き方になれば。捉えようによっては邪(よこしま)な発想で、私はブログを始めました。
いつも顔の見えない誰かを意識して文章を書いています。
腹が立って仕方ないときや窮地に立たされて逃げ出したいと思っているときは、文章を書いたあと少し寝かせて、直情的な表現になり過ぎていないか確認して公開しているのです。
もし、高野悦子さんが生きた時代にブログという日記の書き方があったら、彼女はブログを書いたでしょうか。
そもそも、ブログのような表現手段があれば、生身で闘う学生運動自体がなかったかもしれません。
アフィリエイトを続けるということ
ブログを始めて約5か月。アフィリエイトの収入は愚か、セルフバックさえ失敗している状態です。
それでもアフィリエイトを意識して文章を書くようにしているのは、それがなければ、私の日常を公開する理由がないからです。
以前「数字に振り回されない」という内容のブログを書きましたが、実際に、私のブログは、収益を生むようなセンスはありません。
けれど、じゃあ、広告収入を期待しないでどうしてブログを書くのか、と自問すれば答えは揺れてしまうのです。
私自身は、過ぎた時間を振り返り、時間に埋もれて忘れかけていた日々のことなど思い出せることはいいことだと感じています。
それでも、自分しか読まない日記だったら、三日坊主の私は続けられなかったと思うのです。誰かが読んでくださることを想定して書くから続けられている。
けれど、自分の日常に公開する価値はあるのか、と問うと口ごもってしまいます。
おわりに
不真面目に生きているわけではありませんが、日記が形を変えたのと同じように、生きることへの向き合い方も変わってきたのだなあと感じました。
この文章を書いている2020年の1月13日は奇しくも成人の日です。二十歳であった彼女の日記にも成人の日の記述があります。
「独りであること」、「未熟であること」、これが私の二十歳の原点である。
自死については、私はなにも言えません。ただ、昔もがきながら生きたのだと思われる歌人たちの、いくつかの短歌を思い出しました。
思い濃き者はおのれを殺(あや)むるとくるしきわれに言い給ひしか
稲葉京子(1933(昭和8)年6月1日 - 2016年11月19日)
直情のごとき葱の香きまじめに生き来し寒さ思へ静かに
生き急ぐほどの世ならじ茶の花のおくれ咲きなる白きほろほろ
わが生(しょう)やこのほかに道なかりしか なかりけんされどふいの虹たつ
根づかざりし萩の一叢(ひとむら)焚かんとす火のさびしさの透きとおるまで
生きて世に忘れぬことも移りつつ悔しくもまた朴(ほお)の花落つ
馬場あき子(1928(昭和3)年1月28日 -)
みづからの吐きし言葉に縛られむ森ゆけば木々の生傷匂ふ
大西民子(1924年(大正13年)5月8日 - 1994年(平成6年)1月5日)
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