今朝、出勤の仕度をしながらテレビを観ていました。「スカーレット」です。
見たり見なかったりなので、ストーリーがしっかり分かっているわけではありませんが、今朝見たドラマで印象的なシーンがありました。
烏丸せつこさんが演じる元女優(設定が間違っていたらごめんなさい<m(__)m>)のアンリが、「ちょっと待ってて。すぐ戻るから…夕方までには戻るから」と言い置いて出て行ったシーンです。
結局、彼女が「戻って」来たのは、翌朝(朝でなかったかもしれません<m(__)m>)になってからでした。
喜美子は一晩中アンリの身を案じながら夜を明かします。
そんな喜美子の気も知らないで、翌朝あっけらかんとして現れたアンリに喜美子は、自分がどれだけ心配したと思っているのだと詰め寄ります。
二人は既知の仲ではありません。
アンリは不意に現れた喜美子のファンであり、客です。
それでも、喜美子は、何事もなかったアンリの姿を見て、駆け寄り、感情を露にして、彼女を抱きしめるのです。
このシーンを見た瞬間に思いました。
「私は、これができないのだ。」
たとえ、心配で心配で夜を明かしてしまうぐらい相手を思っていたとしても、目の前の相手が平然とした態度であれば、私は、相手の「温度」に合わせて自分の感情をしまってしまいます。
「よかった。心配したのよ」言ってここまでです。
何も気にしていない相手に熱くなった自分の感情をぶつけたら「面倒くさい人」と思われるのではないかと不安になるからです。
瞬時にこんな判断をしてしまうのは、もう癖のようなものです。
どうでもいい話ですが、この数秒のシーンをみながら、つまらない癖を身に付けて何十年も生きてしまった自分と、ありのまま感情をぶつけられる喜美子と、人生の決定的な違いを見た気がしました。
私の癖は、感情を抑える、というよりは「逃げ癖」かもしれません。
逃げ癖、空気を読む癖、顔色を窺う癖。これらは、自分の本心を分からなくさせる。何がしたいか、何が欲しいか。
朝から、ちょっぴり引き摺ったシーンでした。
【過去記事】
i-am-an-easy-going.hatenablog.com
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