初回投稿日:2020/06/21 最終更新日:2023/09/27
今朝は、地域の資源ごみの日でした。
朝早く、階下でどしんバタンと音が響きます。
どうしたのかと気になりつつ、ここ3か月くらい、ずっと早起きだったので、予定のない今日くらいはゆっくりと寝ていたいと思い、そのままやり過ごしました。
「いつまで寝てるの?」
母です。
ここ最近、急激に足元が危うくなってきているので、2階には上がって来ないでと言っているのに。
「もう8時よ」カーテンを開け始めるので、「はい、はい。今起きます」重ね返事でゆるゆると布団から出ます。
「もうお母さんは、一仕事すませたのよ」
得意げに話す母。
「今日は、資源ごみの日だからね。お母さん、頑張ったの。もう、空いた段ボールはない?」
「うーん。ない」
「これ、何が入っているの?」
積み上げた引越しの段ボールを指して母が言う。
「うーん。食器とか・・・お母さんが、古い食器を捨ててくれないから、置き場所がないの」
「あらそ。ま、ゆっくりね」
捨てる話をすると、母は必ずこうだ。捨てられない女なのです、母は。
「今日ね、捨ててきたのよ、家計簿」
「えっ!?」
捨てられない母の決断は、いつも唐突です。ついて行けない。
「あなたが、残しておいてって言ってたからとっておいたけど。もう見ることもないし。置き場所がないから外に出してたら埃かぶっててね。ちょうどいいタイミングだったから、段ボールと一緒に(ゴミに)出してきたの」
母が、父と結婚してから今日まで一日も欠かさずつけてきた家計簿です。
母の歴史。
私のルーツ。
家族の記録。
なんで・・・。
「すっきりしたよ」
どこか楽し気に話す母に、なにも言えませんでした。
◆◆◆
父が亡くなる少し前のある日。
会社から帰宅する私を待ち構えて、父が古いアルバムを出したことがありました。
「おねえちゃん(私のことです)は、必ず分かるはずだ。この中のどれがお父さんだと思う?」
えっ。
プレッシャーでした。子供のようにワクワクとした様子の父の期待を裏切るわけにはいかないと思ったからです。
「お母さんは、分からないかもしれないなあ」
ぼそぼそと言っている父の隣で、子供の頃の父を探しました。
それまで、父の昔話をきちんと聞いたことがありませんでした。
不器用な家族です。決して、テレビで見るような仲良し家族ではありません。
ワンマンな父は煙たく、話はいつもお仕着せで鬱陶しかった。
それでも、その日は、間違ってはいけない気がして、真剣にセピア色の集合写真の中に父を探したのです。
父は、その頃、独り、自分の余命を聞いていました。自分だけ、自分の寿命を知っていたのです。
私たち家族がそのことを知ったのは、父が亡くなる直前でした。
「あら、とってもカンタンよ。お父さんはこれでしょ」
私が正解したことを、父がうれしそうに、楽しそうに、とてもとても穏やかに笑っていたことは絶対に忘れないと思います。
父が亡くなったとき、一番後悔したのは、父の昔話を聞かなかったこと。
面倒くさがらずに、もっとちゃんと聞いておけばよかった。
写真ももっと一緒に見ておけばよかった。
何度も何度も、後悔しました。まるで、寄せては返す波のように、忘れては思い出し、反省と後悔を繰り返すのです。今でも。
◆◆◆
母の家計簿を母に処分させない。
これは、娘としての役割なのではないかしら。
いつからかそんな風に思うようになっていました。
母の生きた証。これは、娘がきちんと見届ける。
読むかどうかは分かりません。
ただ、処分するのは娘の役目ではないかと。
なのに、あっけなく母は捨ててしまった。
私にくれると約束したのに。
思ったほどの動揺はありませんでした。胸はチクッと痛みましたが。
母の人生は母のものです。
たとえ娘であっても、踏み込んではいけない領域があるはずです。
母の家計簿は、そんな領域だったのかなあと思います。
そう思って、そっとしておくのがいいのだと思うことにしました。
【過去記事】
i-am-an-easy-going.hatenablog.com
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