迷子の日記。行ったり来たり。

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嫌がらせをするひとのきもち

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嫌がらせする人のきもちなど、分かるわけがない。分かりたくもない。

 

寂しい人だ、というのは簡単です。

嫌がらせは、ネガティブであっても、積極的に他人と関わろうとしている行為なのですから。

 

本当に人が嫌いで孤独を愛するのなら、他者と関わらなければいいのです。それを、あえて嫌なことをして他人と関わるのは、寂しいから。

 

いえ、いえ、それは違うと思います。

 

昨日、書類をコピーをするため、近所のコンビニに出かけました。

 

雨が今にも降りそうで、休日と言うのに車が少ない。

 

ひっそりとした町を歩きます。

 

帰り道。幅の狭い白線の内側を、ぐっと奥に入って歩きます。

 

横は田んぼ。道路との高低差が2メートルくらいある。

 

それでも、乱暴な運転が多いので、田んぼに落ちない程度に端っこを歩く。

 

が。

 

向かいからやってきた車は、直前でゆるっと私の側に寄ってきたのです。

 

スピードは落としていますが、白線の内側にタイヤ一つ分以上入り込んできて、サイドミラーが私の腕をかすめます。

 

もうこれ以上端に行けない私は、怖くなって、身体をカニのように横に傾け、その場に立ち尽くす。

 

その様子を見てか、車は少し先で、ゆっくり中央へ寄ってそのまま走り去りました。

 

対向車などありません。

 

この辺りは、小学生と老人が多い。家に帰って話すと、母も何度も怖い目にあったらしい。田んぼに飛び込もうかと思ったこともあったとか。

 

高齢者だけでなく、幼い子供を前後に乗せて自転車を走らせる若いお母さんも多い地域です。

 

子供やペットを助手席に乗せ、彼らを構いながらスマホを触りつつハンドルを握る女性ドライバーや、片方向しか見ないで発進したり曲がってくる車など、危険運転をしている人たちは多い。

 

そのたび「人の命を奪うのは一瞬ですよ!」と憮然とする。

 

軽率な運転者たちは、事故を起こさない限り反省しないのではないかと思ってしまう。きっと、事故に遭ったり、大切な人が事故で傷ついたりしても、我が身を振り返ったりはしない気がするのです。被害者意識を持つことはあっても。

 

けれど・・・明らかに故意と思われる幅寄せ行為をしてくる人、あおり運転をする人は、自分が事故を起こして他人を傷つけても、何も感じないのかもしれない。見ず知らずの人に不快感や恐怖心を与えて面白がっているのだから。

 

何だか、最近、攻撃的な人が多い。

 

SNSの書き込みも、会社のハラスメントも。そう言えば、以前勤めていた会社では「正義の鉄槌を下す」男性がいた。

 

正規雇用の彼は、社員に昇格すべく、同僚の足を引っ張り、嫌がらせを繰り返し、嘘を重ねていたが、社内ではそれを「正義の鉄槌」と呼んでいた。

 

日本には、コロナとは別の「嫌がらせ」というウイルスがはびこっている気がする。

 

そう。「嫌がらせ」はウイルスなのです。

 

だから、嫌がらせをする人の気持ちは考えるだけ無駄なのです。