介助をしながらではありますが、最近母は毎日バスタブに浸かることができています。
入浴前には必ず「お母さん、今日もお風呂入る?」と声をかけます。
母はいつも嬉しそうに「入るっ!」と答えます。
「じゃあ、私が先に入ってくるから、お母さんはここで待っていてね。私が出たら、一緒に入りましょうね」と言って、母が納得したのを確認してから、私は急いで浴室へ向かうのです。
けれど、あれは一昨日…7月14日?いえ、13日だったでしょうか。
その日の母は違いました。
「あ、今日はね、Mayu(私の名前)に入れてもらうから、大丈夫よ」
「へ?」と思わず声が裏返ってしまいました。
自分に「落ち着け」と言い聞かせながら一呼吸置き、慎重に言葉を探します。
「Mayuって誰?どこにいるの?」――言った瞬間、しまったと思いました。
質問は分けてすべきだったのです。
母は首をかしげてから、2つめの質問にこう答えました。
「そりゃあ…? 2階にいるんじゃない?」
◆◆◆
以前にも同じような会話がありました。
そのとき母は「ああ、(もう一人のMayuは)会社に行っているのよ」と言いました。
最近のことなのに、記録していなかったのが悔やまれます。
そして、今反省したばかりなのに「じゃあ、ここにいるのは誰?私でしょ?私は誰?分かる?」と、どうしても立て続けに言葉が出てしまうのです。
母はまじまじと私の顔を見てから、苦笑いを浮かべ「…Mayu」と言いました。
「お母さん、私たちは二人暮らしよ」と伝えると、母は「そこがどうもすっきりしないのよねえ。解せないのよ」と何とも腑に落ちない表情で言うのです。
◆◆◆
前回の受診日には先生に相談したので、こうした会話が始まったのは前々回の受診日の後、先月の初めごろだったと思います。
最近は診察のたび、母の状態を記録しておくべきだったと後悔しています。
最初はとてもショックでした。
けれど、その頃の母は「誰かがいる」「たくさん人がいる」と言っていたので、「きっと妹たちのことを気にかけているのだ」と自分なり納得しようとしていました。
ところが、似たようなことがあまりに何度も続くので、ある日、思い切って聞いたのです。
「誰かいるって(妹たちの名前)のこと?あの子たちはもう…」結婚して家庭を持っていることを言いかけたところ、「あの子たちのことじゃないわ!あの子たちはもう何十年もうちになんて来てない!」と返されました。
「何十年も」は言い過ぎです。
片方の妹は昨年の夏、息子を連れて一度来ています。
もう一人の妹は、母の日に電話をくれました。
「何十年も来ていないことはないわよ」最近も言葉は交わしている、と言いかけると、母は怒ったように話し始めました。
片方の娘は何度も嘘をついてお金を要求したこと、母の貯金額を聞くのに電話してきたこと、入院の見舞金や息子の入学金の名目で100万単位で何度も何度も無心してきたこと…。
さらに、もう片方の娘については、結婚前に夫が挨拶に来て「この家なら一緒に住めるな」と家中を見て回ったこと、父が亡くなったあと「ずっとゴルフがやりたかった」と言ってクラブ一式を持ち帰ったことなど、まるで時系列で語るように話し続けました。
「ゴルフクラブなんて、きっとすぐに売り飛ばしてるわ」怒りはどんどん膨らんでいきます。
父の誕生日や父の日に私が贈ったセーターやポロシャツ。
体調を崩した父が「もう着られない」と袖を通すことなく箱にしまったままだったそれらが、形見分けのときには見当たらなかったことを、ふと思い出します。
知っていたことも、知らなかったことも——
ここに書ききれないほどの話が次々に出てきて、母の記憶は学生時代から幼少期にまで遡りました。
どうやら「誰かいる」の「誰か」は妹たちではないようです。
母は、話すことと話さないことをきっちりと区別して、今までずっと自分の胸の中にしまっていてくれたのでしょう。
◆◆◆
ある日、私は思い切って聞いてみました。
「お母さんの言う”誰か”に、私も会ってみたいんだけど」
すると母はこう言います。
「知らない人たちなの。もうとにかくうるさくて。夜中まで騒いでるのよ」
◆◆◆
そして、2・3日前には「もう一人の私」まで現れました。
最近は毎日、「私は一人よ。この家はお母さんと私の二人暮らし。私の名前、分かる?」と問いかけています。
すると、母は私を見つめ、不審な顔をしたかと思えばバツが悪そうに笑ったり、(もう、いやあねえあなた、と言わんばかりに)林家パー子さんのように手をパタパタしながらケタケタと笑ったり…表情がめまぐるしく変わります。
一瞬、困惑し、怖くなることもあります。
でも、最後には決まってこう言ってくれるのです。
「こんなことばっかり言ってたら、あなたもどうしたらいいか困るわよねえ。一番お世話になっているのに。あなたの名前はMayu。ちゃんと分かるわよ」
「ほんとうよ、お母さん。忘れちゃいやよ」そう言って、ふたりで笑い合うのです。
◆◆◆
来週、ようやく診察日。
再来週には認知症の再検査があります。
この状況が少しでも改善することを願いながら、もしそれが難しいなら――せめてこの時間が一日でも長く続いてほしい。
そんな祈るような気持ちで毎日を過ごしています。