🌿介護を記録するということ
介護には休みがありません。
日々、気づきやつまずきがあり、不安や疲労がまとわりついてきます。それらを記録しようとするだけでも心が重くなることがあります。
現状や感情を言葉にするのは、私には向いていないのかもしれない——そう思うことも少なくありません。
けれど、記録しないまま時間の流れに身を任せてしまうと、ふとした瞬間に、取り返しのつかない後悔に襲われることがあります。
そして、介護は辛いことばかりではありません。
ほんの些細なことであっても、声を出して笑ったことを忘れないように残しておきたいと思うこともあるのです。
🪥母の朝のルーティン
母の記憶は、数秒で消えてしまうことも珍しくありません。
たとえば、歯磨きをしようと洗面所へ向かう途中、トイレに寄ると、その目的を忘れてしまいます。
リビングに戻ろうとする母に「歯磨きは?」と声をかけると、「あ」と言って、「もう、すぐ忘れる、いやあねえ」と踵を返します。けれど、洗面所に行く前にまたトイレに入ってしまう。それでまたリビングに戻り、「あ」と言って洗面所……いえ、またトイレへ。
母に任せておくと、これを3回も4回も繰り返すので、最近は私が洗面所まで付き添うようになりました。トイレに入ろうとする母に「お母さん、さっきトイレに入ったけど、また行きたいの?」と訊くと、「うーん…そうねえ。でも、行けば出るのよ」と言うので、出てくるのを待ちます。
そのままリビングに向かおうとする母に「歯を磨こうか」と声をかけると、「もう、すぐ忘れるんだから、いやあねえ」と苦笑いをしながら洗面所へ向かいます。
🌞今朝の出来事
そんな母が、今朝は朝7時過ぎに自力で起きて、トイレを済ませたあと、出しておいたワンピースに着替え、自ら歯を磨きに行ったのです。
それだけのことなのに、私は感動してしまいました。
母が歯磨きをしているのを見届けてから、私は朝食の準備と水分補給用のグラスの交換をします。
母の歯磨きと洗顔には、いつの頃からか10分以上かかるようになりました。ときどきは、びしょびしょのまま現れて「顔を拭くの忘れた」と言うこともあります。
でも今日は違いました。
シャキシャキとした足取りで洗面所から戻ってきた母は、「おはよう!」と軽快に挨拶し、「朝にね、歯磨きをするといいことがいっぱいあるのよ」と満面の笑顔。
目覚めの歯磨きが身体に良いと母に伝えたのは私です。口臭が気になり始めた頃、寝起きの水分補給の前に歯を磨いてほしいと思ったのがきっかけでした。以前はうがいだけで済ませていましたが、それでは不安が残り、食後の歯磨きも難しくなってきたので、せめて目覚めに、と考えたのです。
ハツラツと話す母の様子が嬉しくて、「そうなの」と返事をすると——
「昔からね、歯磨きは三文の徳って言うのよ」
え?わざと言ってる?笑いを取ろうとしている?
一瞬、言葉が出ませんでした。
すると母は、「あなたは知らないかもしれないけれどね、昔の人は歯磨きは三文の徳って言ってたのよ」とニコニコ。
あまりにも嬉しそうなので、「へえ、そうなの」と返してみました。
「どんないいことがあるの?」と訊くと「ふふ、忘れたわ」と言って、テーブルを見ます。
「ありがとう。いっただっきまあす」——ようやくテーブルに着いた母は、嬉しそうに朝食に手を伸ばしました。
🌸介護の中の光
朗らかな母を見ると、「できることは何でもしてあげたい」と素直に思います。
介護のしんどさは、一言では言い表せません。
介護は育児と似ていると言われることもありますが、育児には成長を見守る喜びがあり、介護は衰えを見届けるだけなのが苦しい——そんなふうに言われることもあります。
けれど、今朝のような些細なやりとりが、まさに一条の光になることもあるのです。