はじめに
今回ご紹介するのは、川端康成文学賞受賞作家・戌井昭人(1971年生まれの作家・劇作家)による、ユーモラスでありながら切実な長編小説『おにたろかっぱ』です。
「おに」と「かっぱ」と三歳児の「たろ」。
一見すると奇妙な組み合わせですが、この物語の核にあるのは、人生の低迷期にある父と、人生が始まったばかりの三歳の息子の物語。
読み進めるほどに父子の関係と旅路が愛おしく心に響く——。
読売新聞夕刊での連載を経て、中央公論新社から2025年9月19日に刊行された本作の魅力を徹底解説します。
📘 作品情報
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 著者 | 戌井昭人(1971年生まれの作家・劇作家) |
| 出版社/刊行日 | 中央公論新社、2025年9月19日刊行 |
| 主人公 | 三歳児タロと四十八歳の父ちゃん(海辺の町に暮らす三人家族) |
| 背景と展開 | 父ちゃんはかつてヒット曲を出したが現在は低迷中のミュージシャン。 タロは恐竜や空想の友達(オニ、カッパ、牛のぬいぐるみ「上田ウシノスケ」)と遊んでいる。 物語は、タロと父ちゃんを中心として、母ちゃんやご近所の人たちとの日常からはじまり、父ちゃんが音楽活動の再起をかけてギター一本でライブハウスを巡る「どさまわりツアー」にタロが同行する旅行記へと展開する。 九州、広島、岡山、大阪、京都と、父子は歌い、笑い、喧嘩しながら巡っていく。 |
💡 本作の魅力
1. 子育ての楽しみと苦しみ
三歳児タロと四十八歳の父ちゃんのやり取りが軽妙でリアル。
父ちゃんは毎日、タロとオニやカッパ、上田ウシノスケといったタロの空想の友達との会話をのぞき見したり、口の達者なタロに本気で腹を立てたり、いつまでたってもトイレでウンチができないタロにウンチの前におむつをはかせてやったりしています。
一見すると幸せな子育て時間のようですが、父ちゃんはときには気ままな独身時代に戻りたいとも思っています。
父ちゃんはミュージシャン。詩が浮かばない平凡な日常に「それでもいいか」と思うこともありますが、「こんな時間はいつかは終わる、いつまでもこのままではいられない」という葛藤も抱えているのです。
愛情深い父親のまなざしと、どうしようもない苛立ち。マニュアルにそぐわない対応をしてしまったあとの後悔と反省。それは子育てに限らず、介護や親しい人間関係でも経験した人は多いはず。「あるある」「わかるわかる」とうなずいてしまいます。
2. 奇妙さの奥にある「人情」
タイトルのユーモラスさは、三歳児が中心の日常の象徴。
目に見える世界と目に見えない世界を自由に行ったり来たりできるタロの様子は父ちゃんの目線で描かれます。それはいわゆる大人の目線とは少し違うけれど、三歳児の目線ともまた違う。父ちゃんの作る歌詞に似て、珍奇だけどどこか懐かしいのです。
自由な親子の周りには個性的で優しい人たちがたくさんいます。みんなタロの奇妙な言葉と行動に普通に付き合ってくれています。
父ちゃんには一度だけ、ちょっとだけ売れた曲があります。売れる前、売れたとき、売れた後、ずっと変わらず父ちゃんの音楽に関わってきた個性的な人たちに助けられながら、どさまわりツアーは続きます。
3. 軽快な語り口と「物語に浸りきったあとの余韻」
戌井氏の文体は簡潔で軽快。新聞連載の区切りがなくなったことで、父子の時間を途切れなく追うことができ、没入感が高まります。
本書は400ページ近くありますが、読了の満足感以上に、気づくと「ああ終わってしまった」というような、いつまでもタロと父ちゃんを見ていたい、これからを見届けたいのに見届けられない、そんな寂しさが残ります。
4. ちょっと懐かしい音楽を探している人
これは、あくまでも補足的に、ですが、父ちゃんはミュージシャン。物語のあちこちに多種多様な楽曲が出てきます。ブルースブラザーズからラジオ体操の歌まで、です。
全部繋げて「おにたろかっぱセットリスト」作って聴いてみるのもおすすめです。
✅ こんな人におすすめ
- 人生の再出発や親子関係をテーマにした文学作品を探している人
- 人間味ある物語を味わいたい人
- 長編ならではの余韻と感動を楽しみたい人
📖 まとめ:あなたの人生の「どさまわり」に寄り添う一冊
『おにたろかっぱ』は、四十八歳の父ちゃんと三歳のタロが紡ぐ物語です。
子育ての時間は長くても「子供が子供でいる間の子育ての時間」は短い。ときには面倒に思えるけれど、存分に貴重な時間を味わう。そして、そのあとも続いていくであろう時間をどう生きるか。
『おにたろかっぱ』は人生に迷いや困難を抱えるすべての人に、「どんな旅もきっと続けていける」という温かいメッセージを届けてくれます。
読み終えたとき、きっとあなたの心にも、忘れられない風景が刻まれるはずです。
私の場合は、ある日の散歩で見上げた石段のシーン。父ちゃんの目線とタロの目線を石段の数で表現する、あの描写が忘れられません。
ぜひこの一冊を手に取ってみてください。
きっとしみじみとした感動に出会えることでしょう。