迷子の日記。行ったり来たり。

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2025年のクリスマス

母の記憶は秒単位で消えていき、感覚もどんどん衰えてきています。

せっかくのクリスマスイブも、食事より睡魔が勝ってしまいました。目薬の調整が連日続いていることもあり不安は募りますが、本人が「起きていられない」というので仕方ありません。夕食後の目薬を5分おきに2本差し、10分あけて寝る前の目薬を差し、靴下だけ履き替えさせて布団に入れました。

それから、ずいぶんと数は減りましたが、年賀状を書こうと準備を始めたころ、母が寝室から「お姉さん」と私を呼びます。

トイレの回数は日によって違うものの、5分とおかず通う時もあるので、またか、と母の元へ行くと「なんか全部出た気がする……」と不穏なことを言います。

これが嫌で、母のトイレには神経質になっていましたが、ここ数日お通じは調子が良さそうだったので、すっかり安心していたところでした

夏に失敗が続いてから紙パンツを履いてくれるようになり、恐れていた寝具への被害はありませんでしたが、それでも惨事には変わりありません。

補聴器を外した母には私の声が届かず、「待って、待って」と叫ぶ私をよそに、母は「どうしよう、どうしよう」と言いながら、さらに私の用事を増やしていきます

夏の失敗があったからこそ、ではありますが、こんな時のために買って置いた介護用手袋やおしりふき、クイックルワイパーに汚物用のポリ袋が役立ちました。

母の体を洗い、パジャマを着替えさせて寝かせた後、トイレや浴室を掃除しなおし、洗濯機を回しました。

その間、聞こえない母が汚れた手であちこち触らないようにと気が焦り、一度だけ母の手を叩いてしまいました。声も荒げてしまい、母は一瞬むっとしたように私を睨みました。

忘れてくれるだろうか……。母の記憶は予測できません。瞬間で忘れることもあれば、ゆがんだ形でいつまでも残ることもあります。

次に起きたとき覚えていたら、「さっきはきつい態度をとってごめんね」と謝ろうか。何度「汚い」と口にしてしまっただろうか。そんな気弱なことばかり考えていると、ふいに「いつまで続くんだろう」と思ってしまいます。

きちんと記録しておきたかったのに、整理できなかったままやり過ごしていた間に、主治医からは手を離され、紹介状を持参しても紹介先に断られたりしました。母の病気が指定難病で一般病院での治療が難しいことと、認知症が進んでいて治療を受けること自体が難しくなっていることが理由です。

包括支援センターの方に相談していますが、相談したときはまだ調子は良く、しかもセンターの方の前ではしゃんとしたりするので介護度の更新は来年まで待つことにしたばかりです。

あと数日で年が変わるというのに、ちゃんと年が越せるのか不安でなりません。

母が寝入ったことを見てから自分の部屋へ上がりますが、この日は母は「ここで寝たらいいのに。なんで上がるの。そんな不安よ。寂しいわよお」なんていうものだから気になって仕方ありませんでした。

前日はお墓の掃除に行ってきましたが、その前日から風邪気味で、無理をしたつもりはなかったのに背中が痛くて仕方がない。その日は寝返りが打てないくらいだったのに、トイレの度に布団から呼ばれるのは辛い。そんな状態なので、私が倒れたら何もできない母を思うと、つい「いつまで……」と考えてしまうのです。

翌朝(25日)はいつも通り迎えられ、今日こそは年賀状、と思っていると、母は寝ません。年賀状を広げた私の横に座ってじっとしているのです。

書きづらい……「お母さん、今日は寝ないのね」というと「よくわからないわ」と返してきます。仕方なしに隣の部屋に移動して、わずかな枚数ですが年賀状を書きました。はがきは、売り出し早々に買っていましたが、いざ書き始めると1枚足りない。仕方なく埃をかぶっていた文箱を開けて様子の良いはがきを探していたら、京都で買ったらしい絵葉書を見つけて、それを使うことにしました。

昔の手紙の束を見るともなしに見ると、いつどんなふうに疎遠になったのか思い出せない懐かしい人たちがよみがえってきました。数回の行き来だけだった記憶の女性は、当時JALのCAで、海外から何通も手紙や絵葉書をくれていました。セミナー受講生の方が「黙って住所を調べてごめんなさい」として年賀状やお手紙をくださっていたり、人間関係が希薄だと思っていましたが、そのときそのとき、それなりの時間を過ごしていたのだと思い返せたことはうれしいことでした。

年賀状にまつわることも、本当はもう少し丁寧に書きたかったのですが、今は少し難しい。去年の12月に恩師の奥様から喪中欠礼のはがきをいただきました。地味な学生だった私が、唯一、卒業後もお宅に招かれたりして何度もお会いしていた恩師です。毎年元旦に年賀状をくださっていました。母のことが心配になったので一人暮らしを止めて実家に戻ると書いた年には、二通目の年賀状を送ってくださいました。介護に備える私に、困ったことがあったらいつでも相談するように書いて送ってくださったのです。

今年、恩師に年賀状が書けないことは本当に寂しいことです。

年賀状が足りなかった友人のはがきに年賀用の切手を貼ろうと近所の郵便局に行くと「売り切れました」と言われ、せめて記念切手はと尋ねると「それもありません」とのこと。仕方なく普通の切手にしましたが、1枚85円。今年届いた年賀状に、「卒業します」という言葉が多かったのも頷けます。

帰りにスーパーに寄ると、クリスマス用のローストチキンがあったので買って帰りました。昨日の夜のやり直しです。

ときどき母に私の名前を聞くのですが、今日はふと「フルネームで言える?」と言ってみました。「言えるわよ」「言ってみて」にっと笑ってちゃんと私の名前を言ってくれたのでほっとして、今度は「お母さんの名前は言える?」と聞きました。いつもなら怒るのに、ふと首をかしげて「〇カワ〇コ」と言います。

母の旧姓でした。

「え?お母さん……」言葉が継げないでいると「ムカシノナマエデス」

今年は最初から最後まで、どうしようもなく不安になったり、どうしようもなく愛おしくなったり、途方に暮れたりした一年でした。

 

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