迷子の日記。行ったり来たり。

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母と娘なんて

今日は朝から、銀行などの用を済ませるため、でかけていました。

家に着き、玄関を開けると、激しい声で電話する母の声がします。

 

相手は、妹。

私が、このブログに書くことのなかった妹です。

 

虚言癖のある彼女は、多くのトラブルを起こし、母ともほぼ絶縁状態になっています。

 

それが、年に1回くらい、お姑さんの悪口を言うため、電話をかけてくるのです。

 

口の上手い彼女に、普段はどれほど迷惑をかけられたかを話す母も、つい饒舌になる。

そうして、ありもしない話で、何度お金を渡し、それがブランド品に変って行ったか。

そんなこと、あっという間に忘れて。

 

今日もそう。

 

そんな彼女を相手に母がまくしたてるように悪口を言っているのが、わたしのことでした。

 

働かない。ダマされた。

 

物騒な言葉であらん限りの悪口を言っている。

 

もともと、冷静で熟考型の母親ではありませんでした。

 

勘違いで叱られたことも数えきれない。

 

愛情が足りない、とか、発想が稚拙だ、と思い、思春期にはずいぶんと苦しい思いもしました。

 

マンションを引き払い、実家に戻ると決めた1年くらい前には「いつ戻ってくるの?」と険しい表情で詰め寄られたことも。

 

なのに、「働かない娘を養ってやっている」とさんざんな悪口雑言をあろうことかトラブルメーカーの娘に向かってまくしたてているのです。

 

耳が不自由になった母は、私が帰ったことにも気づきません。

 

声をかけようかとも思いましたが、あまりにひどい内容に、足音を忍ばせて自室に上がりました。

 

自己主張の激しくなってきた母が、感情に任せて、相手を考えずに喚き散らしている光景を目の前に、ここから先をどう考えてよいのか、途方に暮れます。

 

一人の時間を長く過ごしすぎた結果なのだと痛感しています。

 

耳だけでなく足も不自由になり、気ばかりが強くなる母を、中流家庭(下の方ですけれど)の我が家が施設に預けても、あちこちと摩擦が生じて、母が辛い思いをするだけだ、そう思っていました。

 

確かに、経済的な限界は大きな理由でしたが、娘として母の生末も十分に考えての決断のつもりでした。

 

もう一人の妹は「これで安心だわ」と言ってくれていましたが、母は、まだ自分が現役で何事もできていると思っているのです。

 

母が気づかないようにこっそりと、食器を洗い直したり、トイレや浴室を掃除していることには、全く気付いていません。

 

母と娘なんて、一番近くにいるものが、一番報われない、他人より厳しい関係なのですね。

 

以前、祖母が知り合いの病院にお世話になった時、娘である母が、祖母の身の回りのことをしに病院に通った時期があります。

 

とは言え、完全看護なので、パジャマなどの洗濯くらい。

下の世話も含め、身の回りのことは介護士さんがして下さったのですが。

 

やがて祖母は、毎日通う母のことは娘であると認知できなくなるのですが、伯父のことはしっかりと分かり、数カ月に1度の面会でもたいそうに喜んでいることを、母から聞いたことがあります。

 

妹が「お母さんには息子がいなくてよかったわ。もしお嫁さんがいたら、上手くいったとは思えないもの」と言ったことがありますが、今、つくづく感じている。

 

母と娘なんて、こんなものなのですかね。

 

※今日の文章は、多分に冷静になれていないので、いずれまた書き直すか、消すか、観直していきたいと思います。今日は、ブログを書いていてよかったと思うような一日でした。