迷子の日記。行ったり来たり。

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2026年5月10日母の日。娘の詫び状は2枚目の空色シーツ

今日は母の日。主役の母は昨日からショートステイで今日夕方帰ってくる予定です。

母の日に何ができるかと考えて、これから暑くなった時のためのベッドパッドを新調しました。

 

 

昨年の夏に購入した母の大のお気に入りの一枚です。

「この色。きれいな空の色。サイコーよ。お母さん、この色、大好き」毎日毎日、飽きることなく、横になるたび、本当にうれしそうな声をあげていたのです。

【レビュー】Matdeco シングル 夏用冷感敷きパッドを使ってみた!コスパ最高の買い替えアイテム - 迷子の日記。行ったり来たり。

高い買い物ではありません。それなのに、こんなに幸せそうな母を見られるなんて、「大正解!買ってよかった」と何度も思いました。

それが、2か月経つか経たないかで処分してしまったのです。

思えばそれは、まだ1年も経っていない昨年の出来事です。

 

当時はまだ母は自力でトイレに行っていましたが、排便の感覚は少しずつ弱くなってきていて、ときどき粗相をすることがありました。

私はまだまだ介護の覚悟ができておらず、排泄の世話に対して、過剰なまでの嫌悪と恐怖を抱いていたのです。

 

あの日私は、お気に入りのシーツの上で、何が起きたか理解できずにいる母をトイレで着替えさせた後、母が見ている目の前で、母のお気に入りのシーツに汚物をくるんでごみ袋に詰め込んでごみ集積所に走りました。

母が、シーツを目で追いながら「どうして捨てるの?」と泣きそうな声を出しているのに、私は母の目の前でシーツを処分してしまったのです。

2025年9月8日。久しぶりの大失敗。 - 迷子の日記。行ったり来たり。

 

あの日の母の寂しそうな表情は、何度も何度も私の頭をよぎりました。

自分の非常な行動を思い出しては、後悔に苛まれたのです。

 

母が心筋梗塞で救急搬送されたとき、医師から最後の迎え方について確認されました。延命治療をどうするか。

意識がこのまま戻らない可能性が高いと聞いた時、苦しい治療はやめてください、と答えながら、シーツを処分したときの光景がまざまざと思い出されて、口をついてくる言葉が「お母さん、ごめんね」ばかりで戸惑いました。

 

母はもう、あの日のことはすっかり忘れていると思いますが、ふと思い立ってネットで探してみると今年も売っていました Matdeco 敷きパッド シングル 。

ありがたいもので、母の日前日の夕方にポチっとしても、母の日当日午前中には配達していただけました。

 

Matdeco 敷きパッド シングル は、娘から母への詫び状。

夕方、母が帰ってくるまでに、ベッドをあの「空色」で整えておこうと思います。
母の日に間に合って、本当によかったです。

 

2026年4月4日から本格的な介護生活が始まる

3月に約3週間かけて、入院先で母のおむつ交換を教えていただきました。
便に対して強い嫌悪感を抱いていた私のために、後半はほぼ毎回、浣腸で排便を促した後の実習を組んでくださいました。
正直、入院中の練習で嫌悪感が完全に消えたわけではありません。それでも、退院後は「自分しか世話をできない」と思うせいか、不思議なくらいすんなりと対応できています。
そんな折、あろうことか町内会の組長が回ってきました。しかも長年会長を務めてくださっていた方が前年度で引退されたため、新組長の中から会長を選ぶ必要があり、役が重なる人が続出する状況でした。
そして母の退院日は、ちょうど新組長が集まる最初の役員会の日。
会合は夕方6時半から9時までの予定でしたが、実際には夜9時を過ぎても選任の話し合いは佳境のまま。
退院までの数日間は、ケアマネージャーさんとの契約や退院カンファレンス、在宅介護のための家屋調査などが立て続けにあり、怒涛のように過ぎていきました。
環境が変わった母は、退院当日に発熱し、尿管から出血。会合から帰った私は、すぐに訪問看護へ連絡し、指示を受けながら対応しているうちに日付が変わっていました。
母のように持病を抱えた要介護者は、施設より在宅介護を勧められます。
特別養護老人ホーム(特養)は待機者が多く、サービス付き高齢者住宅(サ高住)は入れても人手不足が深刻。体調管理の難しい高齢者が安心して暮らすには、在宅で介護サービスを受けるのが最も現実的だということです。
気づけば、あれこれしているうちに3週間が過ぎました。
これまでは「介護で一番つらいのは下の世話」だと思っていましたが、それは母がまだ自力でトイレに行けていた頃の話。不測の事態にうろたえ、嫌悪感と戦っていたからです。
おむつになってしまえば、案外と割り切れるものです。
感染しやすい母は尿管にチューブを通してウロバッグ(蓄尿バッグ)に貯めているため、おむつ交換の頻度は多くありません。
それよりも、嚥下障害を起こさないよう食事に気を配ることのほうが、毎日の積み重ねとして地味に大変。慣れればどうということはないはずなのに、いちいち負担に感じてしまいます。
とはいえ、私に頼り切っている母の姿を見ると、言葉にできない愛おしさがこみあげてきて、なんとか介護生活を続けています。
落ち着いたら、もう少し丁寧に、いろいろとまとめていきたいと思っています。

2026年3月6日。水仙咲いた

今年も咲いてくれました。

3月6日 水仙咲いた!

私にとっては奇跡です。朝刊を取りに出て、今年はあきらめていた水仙が花を咲かせているのに気づきました。

なんだかいいことがありそうな、明るい気持ちになります。


昨年の猛暑の中、激しい勢いで繁茂した庭の草を自力で除くことをあきらめて、新聞広告に入っていた「おうちのお助け屋さん」(正式な名前は忘れてしまいました)に除草作業をお願いしました。

鳥が運んでくるのか、外来種のつる性の草々は、知らぬ間に地中に根を張って、ちょっとやそっとじゃ抜けません。

一度はきれいになった庭も、あっという間にあらたな草や木がはびこり始めます。

ネットで除草剤を買って、今度は自力で除草しました。

最初は、水仙やツツジ、ボタンなど毎年咲くのを楽しみにしている花のある所はかなり手作業で頑張ったのですが、繁殖力と再生力にはかなわないと、ほどなくあきらめて、ジャバジャバと除草剤を撒いてしまいました。

数日後、茶色くなった水仙の葉を抜きながら、「きっと母はもう、この庭を見ても何も思わないのだろう」と思うと切なかったのですが、まさか、今年も愛らしい花が見られるとは。

思わず「咲いてくれてありがとう」と声をかけながら写真を撮りました。

 

過去記事:

3月4日 抑制(身体拘束)

一昨日、母がベッドから落ちた翌日のこと。担当の看護師さんから「やっぱりお母様、夜中にベッドに座ってらしたんです。危ないので、(ベッドの)足元にも柵をしてもいいですか?」と聞かれました。
ベッドには柵を取り付ける場所が、上半身側の左右2か所と下半身側の左右2か所の計4か所あり、すべてに柵をすることは「抑制(身体拘束)」にあたるそうです。今回は3か所なので厳密には抑制ではないそうですが、念のため私に確認してから、という配慮でした。

「お手数をおかけいたします」と答えると、すぐに柵が取り付けられました。

介護記録:

2026年3月3日。落ちた?起きた?お母さんどうした? - 迷子の日記。行ったり来たり。

あとで母に「ベッドから落ちたの?」と聞いてみると「落ちないわよぉ」と返ってきます。
(覚えているわけないな)と思っていると、「毎日落ちてたら大変じゃない。あざだらけよ」と笑う。

「あら?じゃあ時々落ちるの?」と聞き返すと「うーん」と首を傾げて少し考えてから「お母さん(自分のこと)は、立てたら歩けるのよ。立つまでが大変なの。ほら、子供がいるじゃない?子供が下駄の音を聞かせたくて、カランコロン言わせて遊びに来るの。でも足が早くて追いつけないのよ」

ありゃ。……言葉に詰まってしまいました。

 

3月5日 微熱と元気一倍?

昨日は、面会に行くと、赤い顔をして母は眠っていました。

「お母さん、熱があるんじゃない?ちょっと測ってみようか」と言うと
「あら、お母さんは大丈夫よ。元気一倍!

「元気一倍?じゃあ、普通ってこと?」と聞くと「くくくっ」とおかしそうに笑います。

熱は36.8℃。私から見れば微熱気味ですが、医学的には37℃からが微熱だそうです。以前別の病院で言われたのを思い出し、今回は看護師さんには伝えずにおきました。

 

母との不思議な会話は、不安もありますが楽しくもあります。
ただ、多分確実に、歩けたら徘徊していたはずで、そう考えれば今の状況が良かったと思えてきます。

母は畳に布団の生活が長く、リフォーム後のフローリングの床にも入院するまでマットレスを敷いて寝ていました。

包括支援センターの方などからベッドを勧められたこともありましたが、お友達がベッドから落ちて骨折した話などを聞くと、どうしても踏み切れずにいたのです。

3月6日 これからのこと

今日は、面会に行くと看護師さんから話があると言われます。

内容は退院後のこと。

(心筋梗塞後の)日常生活のためのリハビリ入院は最長で60日と決まっているそうです。入院時に、看護師さんとケアマネージャーさんから何度も念押しされました。
回復が順調な母は、そろそろ退院後のことを考えなければならないのです。

もうそろそろだと思ってはいましたが、「在宅で介護なさるんですよね」という言葉にすっと返事ができません。

「入院前に確認したはずですが」と言葉を重ねられると、余計に言葉に詰まります。

そんな私を横目に「来週には、お母様の食事について、調理や介助の仕方を習っていただきます。その前後で、お宅に伺って、段差や動線の確認をさせていただきます」次々に話されるのをようやっとの思いで遮って、介護認定の結果がまだ降りていないことを伝えると「それなら、恐らく今月中には届きますよ。届き次第こちらに提出してください」と言って、まだまだ話は途中だとせかされるような雰囲気です。

戸惑っていると「何が疑問ですか?在宅で介護なさいますよね?何が気になるんですか?」と矢継ぎ早に聞かれます。

入院時の母の急激な変化や排せつの介助にきちんと対応できるか不安だと答えると、「もし施設に預けるなら、今から手配をしなければ間に合いませんよ。特養なら絶対に間に合わない、待機者があふれています。サ高住なら、基本の住居費が最低で20万程度で、それに介護費や医療費が追加になります。サ高住はすぐに入れるところもありますが、負担が厳しいでしょう?」

それに、特養は職員が足りていないところも多いのだと付け加えられると、「回答はすぐでなくてもいいですか?」と伝えるのがやっとでした。

そのやり取りをぽかんとした顔をしてながめている母を見ると、すぐに「私が介護します」と言い切れない自分をふがいなく思います。

 

家に帰ってすぐ、包括支援センターの担当社会福祉士の方に連絡すると11日までお休みとのこと。

今朝のあのエネルギーが湧いてくるような感覚はなんだったのだろうと思いながら、支援センターの方からいただいた介護保険の手引きを開いて、来月からの生活を考えています。

 

2026年のお雛様はおひとり様の冷凍祭り

昨日の3月3日、入院中の母は病室でひな祭りを迎えました。

ちらし寿司は食べられなかったものの、面会に行くとテーブルには紙のお雛様が飾られていて、病院の心遣いが胸にしみました。

母はそれに気づく様子もなく、もちろん、ちらし寿司を「食べます!」と喜んだことも覚えていません。

※昨日の記録:2026年3月3日。落ちた?起きた?お母さんどうした? - 迷子の日記。行ったり来たり。


一方の私はというと、一人だと食べる意欲さえ薄れてしまうのか、気づけば冷蔵庫はほとんど空っぽでした。

 

母は、子どもたちが小さいころから行事を欠かさない人でした。
節分には豆まきをし、ひな祭りにはちらし寿司とひなあられ。
一人暮らしになってからも、その習慣は変わらず続いていました。
そんな何気ない習慣が、今さらながら、とても大切なことに思えてなりません。

 

街へお寿司を買いに出かける気力も湧かなかった私は、面会の準備をしながら、ふとテレビに目をやりました。
DAIGOさんの番組で阿佐ヶ谷姉妹のお二人の「今日はチャーハン!ひな祭りだっていいんです!(正確なセリフは忘れましたが…)」と言う明るい声。思わずハッとしました。


実は私、もともと冷凍食品はあまり得意ではありませんでした。冷蔵庫を買い替えるときも、冷凍室より野菜室が充実したモデルを探したほどです。
それが昨今の異常気象や米不足。背に腹は代えられないと冷凍野菜やうどん、チャーハンを試してみたところ……これが意外にも美味しい。ネットスーパーなら凍ったまま届けていただける手軽さもあり、すっかりハマってしまったのです。


「ひな祭りだっていいんです!」
そう自分に言い聞かせ、買い置きのケチャップライスで夕食にしました。冷凍のから揚げとフリーズドライの野菜スープを添えれば、立派な“ジャンクフード祭り”です。


冷凍チャーハンは電子レンジよりフライパンで温めたほうがムラがなくて美味しい気がします。から揚げも、レンジのあとに少しフライパンで焼くと揚げたて感が増します。
ほんのわずかな手間ですが、それだけで「私って駄目だなあ」という自己嫌悪が少し軽くなるような気がするのが何よりありがたい。


食後には、ネットスーパーで買っておいたひなあられを豆皿に盛り、甘酒と一緒にいただきました。


……ただ、一つだけ後悔が。


病院の帰りに、つい洋菓子店でいちご大福を買ってしまったのです。2個パックでしか売っていないのに、「今日はおひな様♪」と迷うことなく。
しかも、帰宅してすぐお茶と一緒に2つとも食べてしまいました。

 

母が穏やかにいてくれる安心感と、一人暮らしの気楽さに甘えて、最近どうも生活が乱れがちです。


そろそろ、独り身の暮らしをもう一度きちんと整えなければとつくづく思っているところです。

独り身を正す - 迷子の日記。行ったり来たり。

 

2026年3月3日。落ちた?起きた?お母さんどうした?

朝10時ちょうどにスマホが鳴ります。見ると母が入院している病院から。
急に鼓動が速くなる。


母が入院してから、転院前も転院後も、指定された時間に毎日欠かさず母を訪ねています。転院前は、夜7時から10時の間に先生や看護師さんから緊急検査などの状況報告の電話をいただいていましたが、現在は、まずナースステーション(詰め所)に立ち寄って、連絡事項を確認することになっています。

不測の事態がなければ、病院からは連絡はまず入ることはないのです。

ドキドキしながら電話に出ると、担当の看護師さんが少し言いづらそうに切り出しました。
「昨夜、お母様がベッドの横に座り込んでいるのが見つかりまして……。どうやらベッドから落ちてしまわれたようです。ただ、確認したところお怪我はなく、お布団と一緒に滑り落ちた可能性が高いのですが……」

安堵している私の様子が電話越しでは伝わらないのか、看護師さんは申し訳なさそうに説明を続けます。


母が自分でナースコールを押せないことは、前の病院でも言われていたことでした。そのため、以前は母の心拍数などを検知する「生体情報モニタ」をナースコールと連動させ、自動でスタッフを呼ぶ仕組みにしていたそうです。

 

今の病院でもしばらくは生体情報で診てくださっていましたが、最近は状態が落ち着いていたため、昨夜からモニターを切っていたとのこと。
「今日から再び、生体情報できちんと管理します」という丁寧な説明に、その配慮の深さが身に染み、思わず頭が下がりました。

今の病院では蓄尿バッグ(ウロバッグ)を使用しています。
尿道にチューブが入っていることが理解できない母は、入院当初、私を見るなりベッドから足を下ろそうとして私を困らせました。
「ああよかった、いいところに来てくれたわ。ちょっとお母さん、トイレに行きたいのよ」
そう繰り返しながら、ベッドから降りようとするのです。

入院時に、徘徊やベッドからの転落の危険性がある場合は、手足をベッドに固定する場合がある、という同意書に署名をしました。

その重みを思い出しつつも、こうして事あるごとに丁寧に状況を説明してくださるスタッフの方々の配慮には、感謝しかありません。

正直に言えば、この病院への転院は苦渋の決断でした。 以前の病院は通院に片道1時間近くかかり、様々な検査が母の負担になっていました。より持病(膠原病)に近いリウマチ専門医がいるクリニックの方が、転院先にはふさわしいのではないかと悩んだこともあります。 しかし、そのクリニックには入院やリハビリの設備がありません。

今の病院は専門医こそ不在ですが、設備が整っており、何より自宅から徒歩10分という近さにあります。 主治医からも「持病は落ち着いており、専門薬を止めても大丈夫だろう」という見解をいただいていました。今後のことを考えれば、リハビリ環境が整っている今の場所が安心です。

近所の病院というのは、とかく良くない噂も耳に入りやすいものです。 この病院についても様々な評判があることは知っていましたが、当時はとにかく、母を受け入れてくれる場所を探すのに必死でした。特定疾患があると、介護施設への入所も一筋縄ではいかないからです。

「母にとって安全で安心な場所」 そう願い続けてきた今、折に触れて病院への感謝が溢れます。

先週の土曜日には管理栄養士さんが来てくださり、母が食事をよく食べていることや、甘いものが好きなことを話してくださいました。毎回、デザートのゼリーから真っ先に食べるそうです。 とろみ食から普通食に戻ったとはいえ、主食はまだお粥です。

「ひな祭りにちらし寿司をお出ししようと考え、お母様に伺ったんです。すると嬉しそうに『食べる』とおっしゃって。でもその後、看護師とも相談して、お粥の状態ではまだ少し早いかもしれないという結論になり……お母様には申し訳ないことをしました。退院までには必ず、もう一度お寿司の日を作ろうと考えています」

母は昔からお茶の時間を楽しみにしていました。カフェオレにチョコレート、小袋のかりんとうやおかき。プリンやゼリーも大好きで、特にコーヒーゼリーは若い頃からの大好物でした。 毎年、お雛様にはちらし寿司を作っていたことなどを思い出しながら、そんな些細なやり取りまでわざわざ伝えてくださる配慮に、また胸が熱くなります。

スタッフの皆さんは本当に優しい。 母の顔を見るたび、「こちらの病院にお願いして本当によかった」と心から安堵しています。

 

今日は生憎の雨。

それでも、今日も母の元気な(?)顔が見られると思うとうれしくなります。

【重要】連絡先メールアドレス変更のお知らせ

いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。

この度、お問い合わせ用のメールアドレスを変更いたしましたのでお知らせいたします。

これまで使用していたYahoo!メールにて、予期せぬシステムトラブルが発生し、現在メッセージの確認が一切できない状態となっております。 つきましては、今後のお問い合わせや仕事のご依頼などは、下記の新しいGmailアドレスまでいただけますようお願い申し上げます。

新アドレス: mayu99sawa.blog@gmail.com

 

【最近メールをくださった皆様へ】

ここ数日の間に旧アドレスへご連絡をいただいた方の中で、私からの返信が届いていない場合は、大変お手数ですが新しいアドレスへ再送いただけますと幸いです。

せっかくのご縁や、大切なご連絡をお待たせしてしまい、多大なるご不便をおかけしますことを深くお詫び申し上げます。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

2026年2月27日。1月23日からの1か月をざっくりと振り返る。

本当は、2月23日にまとめようとしていたのですが、ぐずぐずと思いを巡らせている間に、2月の終わりになってしまいました。

先月の23日に、生まれて初めて救急車を呼びました。

朝7時過ぎ、母が発熱していることに気づいたのです。

昨年末、それまでずっとお世話になっていた病院から近所の病院(近医)へ転院することになり、最後の処方薬がなくなる直前のことでした。

転院のお願いに伺った際、母が特定難病であり、処方薬が専門医にしか出せないという理由で一旦はお断りされたのですが、「発熱や容態急変時には救急車を呼ぶこと」などを条件に引き受けてくださった経緯があります。まさか、薬が切れた途端にこれほど状況が悪くなるとは思ってもみませんでした。

前日は、夕方の7時くらいから夜中の3時過ぎまでトイレの対応が約40回。これでは共倒れだ、と限界を感じていました。

それでも救急車を呼ぶ直前まで、「私のことわかる?」と聞けば「わかる」と反応していました。しかし、次第に体が震えだし、おでこに手を当てると熱い。30分前には感じなかった熱さです。

「熱があるみたいだから、体温測ろうね」と体温計を脇に挟むと「うん」と頷くのですが、どんどん体から力が抜けていくのがわかりました。

119番通報をすると、受話器越しの声は思った以上に淡々としたものでした。

そういえば、結構はまって見ていた『エマージェンシーコール』(テレビドラマ)でも、必ずしも全員が熱血な対応というわけではなかったな……そんなことを思い浮かべながら、必死に状況を伝えます。

「救急車が着くまでに、保険証・お薬手帳・お母さんの靴を用意しておいてください。サイレンが近くなったら、隊員にわかるよう表に出てください」

母の通院セットは常に揃えてあるので、そこへ通院用のスニーカーをポリ袋に入れて準備しました。自分は起き抜けの格好のままコートを羽織り、母が寒くないよう着替えも用意します。
また、前の病院での最後の診察後、地域包括支援センターに連絡して要介護度の更新やリハビリの手配を進めていたのですが、その初回リハビリ時にいただいた「記録手帳」に母の様子を記録していました。その手帳もバッグに入れました。

5分ほどして、少し離れた場所から救急車の音が聞こえてきました。
住宅地なので、私の姿を認めた運転手さんは、すぐにサイレンを止めて近づいてくださいました。
救急隊の方が入ってきて母に話しかけた頃には、もう母の反応はほとんどありませんでした。

救急車に乗り込むと、すぐに詳細な状況を聞かれました。
昨年からの様子を記録していたあの手帳を持っていて、本当に良かったです。手帳を見ながら正確に説明することができました。途中、隊員の方が「脈が弱くなっているので、酸素吸入させてください」とおっしゃいました。

普段の通院時は片道30分以上、混雑時は1時間ほどかかる道のりですが、救急車は隊員の方の言葉通り、きっかり15分で到着しました。
その間、私の回答を逐次病院に伝えてくださっていたおかげで、母の主治医の先生もすぐに駆けつけてくださいました。

母の処方薬を一般病院用の処方に変えたことが原因だろう、と言うことでしたが、母は、心筋梗塞を起こしており、合併症で尿毒症を発症していたそうです。

意識のない母を目の前にして、担当医から「今後の処置ですが、延命治療はどうしますか」と問われました。

動転していた私は、「気づかなかった。ごめんなさい、お母さん、ごめんなさい」と繰り返していたようで、先生が「気づかなくて当然ですよ。それで(延命はどうされますか)」と繰り返されます。

咄嗟に「苦しまないようにしてください。苦しい治療は結構です」と答えました。

父のことを思い出していました。父は肺がんで亡くなりましたが、折に触れ「お父さんに何かあったら、延命治療はいらないからな。これがお父さんのリビングウィル(終末期医療における意思表明)だ。実際に苦しくなったら、楽になりたくて色々と言うかもしれないが、それは本意じゃない。必ず、延命治療は断ってくれよ」と言っていました。

それでも、いざそのときになると、苦しそうな父を目の前にして「延命治療はいらない」とは言えませんでしたが、父はそんな私を見て、自ら酸素吸入を外して「延命治療はいりません」と主治医に伝えたのです。

母は、万が一の時の希望を一度も口にしたことはありません。85歳。持病も認知症も完治は望めない。父の言葉を思い出しながら、迷うことなく答えていました。

その後、母はHCU(High Care Unit:高度治療室)に入ったのですが、二日後には一般病棟に移りました。看護師さんからは「先生が『一体あれは何だったんだろうね(あんなに重篤だったのに)』と驚いていらしたわよ」とお電話をいただくほどでした。そして2週間後には、近医へ転院できるまでになりました。

転院にあたってケアマネジャーさんから懸念点を聞かれたので、処方薬の件を相談したところ、翌日には主治医から転院先の先生へ直接連絡を入れてくださり、これまで通りの薬を手配していただけることになりました。

2月5日、無事に転院が完了し、今は毎日母の顔を見に通っています。
ある日は、口をぽかんと開けて寝ている顔が亡き父にそっくりで呆然とし、ある日は、母の話す不思議な話にお腹を抱えて笑い、今日は珍しく私がそばにいるのに途中で寝入ってしまいました。

先週末から、とろみをつけないで水分が摂れるようになり、一昨日から食事もとろみをつけないで普通食が食べられるようになったそうです。

私は、母がいない家は静かすぎて、しばらく2階で寝るのが怖くてリビングにヨガマットを敷いて寝ていたのですが、腰痛がひどくなったころには、母のいない日常に慣れてきて自室で眠れるようになりました。

先週のことだったと思うのですが、母が「まあ、お母さんがいない間、ゆっくり羽を伸ばして。やりたいことしっかりやっておきなさいよ」と言うので、ドキリとしてしまいましたが、確かに、入院前の母の介護は過酷でした。退院して一か月もすれば、さらに大変な日々が待っているかもしれません。そう思うと、今のこの時間はとても貴重に感じられます。

それもこれも、母が元気でいてくれると思えばこそ。

救急隊員の方、病院の方、関わってくださったすべての方々に心から感謝しています。

***

初めて救急車を利用してつくづく感じたのは、隊員の方へ直接お礼を言う難しさでした。
救急車を降りた途端、待機していたスタッフの方に促されてすぐ事務手続きに向かわねばならず、振り返る余裕もありません。
病院のスタッフの方には折に触れて感謝を伝えられますが、救急隊の方々への感謝は伝えられないまま。それが少しだけ、心残りに感じています。