『花子とアン』が再放送されています。
吉高由里子さんも仲間由紀恵さんも日本髪がとてもよく似合っていて美しい。
脚本にも無駄がなく、非常にスッキリとしていて、印象的なシーンの多い名作です。
主題歌の『にじいろ』も当時から名曲と評判で、絢香さんの伸びやかな歌声が印象的です。
ただ、何度聴いても、この『にじいろ』の一節が引っかかるのです。
”手をつなげば あたたかいこと
嫌いになれば 一人になってくこと
ひとつひとつが あなたになる”
という行(くだり)。
なんど聴いても何年経っても違和感を覚えます。
なぜ、”手をつなげばあたたかいこと”が”嫌いになれば一人になってくこと”につながるのでしょう。
せっかく手をつないで人の温かさを知ったのに、それを糧として立ち上がり歩き始めるのではなく、”嫌いになれば一人になる”って。
私には、現代の日本の人間関係の在り方に馴染めないで苦しむ人への警鐘に聞こえてしまう。
そう、それはまるでこんな風景。
いつも大勢の仲間に囲まれている人が「良い人」「良い子」「良い生徒」です。
だから、周りの顔色をうかがって、空気を読んで、嫌われないようにしましょうね。
一度つないだ手は自分から離してはいけませんよ。
一人ぼっちでいる人は、きっとどこか問題があるのです。
下を向いていると、一人放って行かれるよ。
俯いていると「暗い人」って思われるからね。
競ってはいけません。
だって、みんなそれぞれ「一番」だから。
だけどあの子は特別だから、決して追い越さないで。
「これは現代社会を上手く乗り切る処世術か?」とシニカルな思いが勝手に私の中で暴走を始めてしまうのです。
キラワレナイヨウニ シタホウガ イイヨ
ツナイデモラッタ テハ ジブンカラ ハナサナイホウガ イイヨ
もちろん、そんなことを唄っているわけではありません。
人生は長い。
さあ、顔を上げて、前を向いて。
出会った人、これから出会う人、自分に関わるすべての人を愛していけば明るい未来の道が開くよ。
『にじいろ』は、愛と希望に溢れた名曲です。
それなのに、それなのに、この歌がすっきり胸に入ってこない、嫌悪感さえ抱いてしまう自分の心持ちに何か後ろめたいものを感じるのです。
ああ、当時からそうでした。
『花子とアン』が放送されたのは 2014年3月31日 から9月27日。
今から約7年前です。
7年経っても同じ感想を抱き、同じように自己嫌悪に陥っているのかと思うと寂しくなります。
そして、棘が刺さったようにチクチクとした痛みを感じるのです。
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