100均で買った花が咲きました!
3月20日に100均で買った花が、今日やっと咲きました。
>>100均で植物を買いました - 迷子の日記。行ったり来たり。
小さいけれどバラに似た華やかな花です。
つぼみの数は、もう、数えきれないくらいたくさんあります。
ぜんぶ咲くといいな。
ちょっとピンボケの写真ですが、ピンクの淡さが絶妙です。
いつまでも「名もなき100均の花」では可哀そうなので、なんとか名前を調べたいと思っているところです。
それにしても、なんと固いつぼみだったことでしょう。
思わず「よくがんばったねえ」と声をかけてしまいました。
>>100均で買った花が咲きそうです - 迷子の日記。行ったり来たり。
あまりに固いつぼみを毎日見ながら、なんとなくそのまま枯れてしまうような気もしていたのです。
それでもいつからか「どんな花が咲くのかしら。楽しみにしてるからね」と花に話しかけるのが日課になっていましたが、励ましの声が聞こえていたのでしょうか ( *´艸`)
100均の花もそうですが、昨晩は、芍薬の花にも驚かされました。
>>芍薬の花が頑張って咲いてくれました - 迷子の日記。行ったり来たり。
母が昨日の昼頃、妹夫婦から贈られたベゴニアを飾るのに、芍薬を生けていた花瓶を玄関脇に移したのです。
花びらもハリがなく、本当にもうサヨナラといった風情でした。
それが、夜、寝る前にふと見ると、「まだ私、咲いているのよ」とベゴニアに場所を奪われたことに憤慨したかのように芍薬がシャッキリと花首をもたげていたのです。
花にも感情がある、と言われたりしますが、あながち嘘ではないかもしれません。
私より先に気づいた母が、慌てて「あらあら、可哀そうなことをしてごめんなさいね」とベゴニアをリビングに移動させ、芍薬をもとの場所に戻していました。
その様子は少しおかしくもありましたが、「花にも命があり、尊厳がある」ふいにそんな気がしたのです。
少し大げさですが、それでも、何というか、芍薬の意地のようなものでしょうか。
何かそんなものを感じたのです。
「ごめんね、ありがとう。もう少し楽しませてね」そんなふうに思いました。