迷子の日記。行ったり来たり。

本当に本当に本人以外にはどうでもいいようなことをつらつらと書き連ねています。このブログにはアフィリエイト広告を使っています。

食事の記憶

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パソコンのデータを移し替えるついでに、スマホに入っている写真をクラウドに移すことにしました。

 

>>突然パソコンの電源が入らなくなったときに試してみるべきこと - 迷子の日記。行ったり来たり。

 

子どものころから写真が苦手で、友達も多いほうではなかったのであまり写真はありません。

 

あのとき素直に一緒に撮っておけばよかったな、と未だに思い出すシーンが少しはありますが、さほど未練に思うほどでもない気もします。

 

泣きたくなるほど淡白な時間を過ごしてきたので、スマホにも人と一緒に写っている写真はほとんどなかったのですが、意外にも枚数だけはたくさんあって驚きました。

 

写真の食事は、ランチだったかディナーだったかもはじめ思い出せなかったのですが、つらつらとこれを書いている間に徐々に思い出してきました。

 

ランチです。

 

箸袋の「蒲郡荘」にも記憶がありませんでしたが、思い出しました。

 

蒲郡市に出張に行った時のランチです。

 

ほかにもたくさん写真があったので、少しずつブログに使って供養していこうと思いました。

 

なんだか急に、そうしないと過ぎた時間がかわいそうに思えたのです。

 

私自身は、自分の終わりは海の藻屑でいい、いえ、むしろ海の藻屑がいいと思っているのに、山ほどあるどうでもいい写真に未練を感じていることが不思議です。

100均で買った花が咲きそうです

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100均で買った名もなき花の蕾がようやっと膨らんできました。

どうやら淡いピンクの花のようです。

それにしても本当に固い蕾でした。

 

>>100均で植物を買いました - 迷子の日記。行ったり来たり。

 

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こちらはシャクヤクです。

 

今年はボタンが旺盛だったので、栄養を奪われてしまったのか、とても線の細い花になりまして、暴風で折れてしまいそうだったので、母がまた、いち早く手折って花瓶に生けました。

 

例年よりも小さな花になりそうですが、明日くらいには開きそうです。

 

それにしても、今年は風の強い日が多いですね。

一年前と何が変わったのか

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今日、美容院へ行きました。

気づくともう15年以上お世話になっています。

 

カットしてくださるのはオーナーの男性で、通い始めてからずっと私の髪の毛は彼に委ねています。

 

「去年は、デパートも休みだったんですよねえ。」
鋏を手にしながら彼が言いました。

 

「そうでしたっけ」と私。

 

「ええ。うちも予約がどんどんキャンセルになって。ほんと、何が起こってるのか、まったくわからなくて。」

 

たしかに大変な一年だったけれど、はっきりとは思い出せない。

 

「これからどうなるんだろうと不安でしたから。忘れないと思いますよ」
カットの手を止めることなく、彼は言いました。

 

「忘れないと思いますよ」ということばが、ずしんとした重みでもって胸に響いた気がしました。

 

「状況が改善したわけじゃないけど、今は、どうすれば出かけられるか、みんなわかってきましたからね。なんとか普通にやってますけど」と続けます。

 

「今日は、どんなスイーツ買って帰るんですか?」にこやかに聞かれました。

 

甘いものに目がないこと、チョコレートが大好きなことなど他愛もないことも、話したことはきっちりとインプットされている。

覚えていてくださったのだなあと思うと悪い気はしませんが、ときどき、ギクッとすることもあります。

 

「うーん。目新しいケーキがないか、ちょっと地下を見て帰ります」と答えながら、私なりにしんどい一年だったはずなのに、去年、デパートが休業したことをすっかり忘れて思い出せないことが不思議に思えていました。

 

「結局、今ってストレスの発散のさせ方が限定されますものね。好きなものを食べるのっていいことだと思いますよ。”美味しい”って実感することぐらいなんじゃないですかね、今、発散できるのって」

オーナーはいつもあまりしゃべらない人なので、なんだか少しの会話がとても大切なことを話した気分になります。

 

いつもながらに優雅で無駄のない手さばきを鏡越しに見ながら、がんばってお店を開けてくださっている間は、何としてでも通い続けたいと思っていました。

 

昨日は母の誕生日でした。

そして5月は私の誕生月でもあります。

 

お寿司とケーキで、まとめてお祝いしました。

 

お寿司もケーキも、一年前休業していた、くだんのデパ地下で買いました。

 

貝が好きな母のために、貝尽くしのお寿司です。

 

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ケーキは、ユーハイムのイチゴのショートケーキにしました。

カンブリア宮殿」で取り上げられたとポップに書いてあったからです。

 

母は、ケーキはあまり好きではありませんが、イチゴのショートケーキだけは喜んで食べてくれます。

 

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「ああ、美味しかった」
お腹一杯になったところで、確かに、美味しいものを食べて、一時でも幸せな気分になれたこと、「美味しいね」とことばを交わす相手がいることが、なによりのことに思えてきます。

 

満足そうにお寿司をほおばる母を見ていると、きっと母も今日は発散できているはずだと思えます。

 

一年前と何が変わったか、と聞かれても、新型コロナウイルスについてはよくわかりません。

 

前を向くとか、前進するとか、そんなことばが嘘っぽくて何の意味もないように聞こえてしまうときは、とりあえず好きなものを食べる。

そのあとはできることをするしかないな、とそんなふうに思うのです。

 

>>【口コミ】おすすめの白髪染め2選 - 迷子の日記。行ったり来たり。

繰り返し見る夢

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「夢」で検索すると、イラストも写真も将来に対して思い描く「夢」のイメージばかりが出てきます。

 

でも、今回私が書きたいのは寝てみる夢の話。

 

もう数えきれないほど繰り返し見ている夢を、久しぶりに今朝目覚める直前に見ました。

 

大した夢ではないのです。

 

卒業して初めて勤務した職場で迷子になる夢です。

 

懐かしい人たちが、懐かしい面立ちのままで出てきます。

 

当時の勤務先は、現在は改修されてとても近代的な建物になっています。

そこで、私は迷ってしまうのです。

 

「確か、ここから地下に出れば近道だったはずだけど…」

夢の中の私は、独り言ちながら、あっちでもない、こっちでもなかったと右往左往する。

 

挙句の果てが、ビルの外に出てしまい、結局、総合受付の前に行くのですが、そこで入り口外に特設された「受付前受付」に戸惑ってしまいます。

 

新型ウイルス対策です。

 

「えっ、私、ここに勤めてるんだけど、記名して消毒を受けるの」

と受付を通るのを躊躇していると

「あっ、私たちはこのまま通っていいのよ」

誰かがそう声をかけて私を追い越して、中に入っていきました。

 

彼女の顔は見えません。

誰だったのかさえ見当もつきません。

 

ただ、なぜかすごく安堵して後ろをついて中に入ろうとしたところで目が覚めたのです。

 

5月最初に見た夢は、昔からよく見た夢の新バージョンでした。

 

子供のころから妙にリアルな夢を見ています。

父が亡くなってからは、年に数回ですが、あの世から父がかえってくる夢を見ます。

 

>>ブラッドナイトバー - 迷子の日記。行ったり来たり。

 

予知夢、のようなものを見ることもあります。

あくまでも「のような」ですけれど。いや、これは予知夢なんかじゃありません。ただの荒唐無稽な変な夢、でした。

 

>>【夢日記】TOKIO解散!? ギタリストに竹野内豊!? - 迷子の日記。行ったり来たり。

 

そういえば、少し前、我が家の玄関口に霊柩車と見まがう黒塗りの高級車が、2台止まっている夢を見ました。

記事にして投稿したつもりでいましたが、検索しても出てこないので、多分怖くて書かなかったのでしょう。

もう、自分でも、何を書いて何を書かなかったのか管理できなくなってしまいました。

【本の紹介】『竹青』by太宰治

ブログを始めて3年目の4月最後の日。

この投稿で400記事になります。

我ながらよく続いたと思いますが、更新が途切れればあっという間に読まれなくなり、再開しても以前の状態にはなかなか戻らない。

ブログはまるで生き物のようで、気難しいけれど離れがたい、愛着も確実に育っているようです。

 

こんなタイミングでなぜ『竹青(ちくせい)』なのかという気もしますが、『竹青』は1945年に発表された太宰治の短編小説です。

主人公は貧乏な書生。

意に染まぬ相手と結婚をしたが、30歳までにはひとかどの人物になりたいと、妻を殴って出奔する。

しかし、意を決して受けた科挙*1に落ちてしまい、カラスの生活をうらやましく思いながらうたた寝をしてしまう。

 

すると男が現れ、「それならば」と書生をカラスに変える。

そのときお供につけられたのが「竹青」という名のメスのカラスだった。

いわゆる「異界訪問譚」ですが、物語では、書生は「竹青」に魅かれ、そのままカラスの世界で生きようとするが、人間であったときにあれだけ醜く嫌悪していたはずの妻への愛情に気づくのです。

 

そして、人の世界に戻り、身の丈以上のことを望まず生きていくのです。

 

読む人ごとに、感じ方もあらすじの伝え方も変わってくるのかもしれないな、と思いながら、個人的には400記事という節目に、なぜだか紹介してみたくなりました。

 

 

過去記事>>

【おすすめ映画】『彼女がその名を知らない鳥たち』は美しいホラー - 迷子の日記。行ったり来たり。

 

 

*1:かきょ。中国の管理試験。日本では、現在の国家公務員試験のようなもの。

三月の庭【満開水仙】

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朝から雨が降っている今日は、ゴールデンウイーク初日というのに寒いです。

あまりに寒くて、暖房をつけました。

もちろん、自分の部屋での話です。

まだ、しばらくはリビングのエアコンは使えません。

いつの間にか室外機の前に群生した可愛らしいピンクの小花は、まだまだ生き生きとしているからです。

 

関連記事>>

突然暑くなってもエアコンが使えないし、対策もできないし - 迷子の日記。行ったり来たり。

 

ずっと家にいると、いつまでも冬物を片付けられない不安定な気候までも、なんとなく新型コロナウイルスのせいに思えてきます。

 

どうせ季節感がないのだから、季節外れではありますが、水仙の写真を公開しても良いかなと思い立ち、先月半ば(?下旬だったかも?)に撮影した三月の我が家の庭の写真を投稿することにしました。

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今年は黄水仙が例年以上にたくさん咲いて、まさになあらんだ♪なあらんだ♪状態でした。

 

チューリップも咲きましたが、ひょろひょろと成長しすぎたので、切り花にしてリビングに飾りました。

 

写真がなぜか、真上から撮影したものしか残っていませんでした…無念。

下の写真は、チューリップです。

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下の写真は、ラッパ水仙です。

こちらは例年以上に背が高くなったので、春一番が吹くころに、倒れてはいけないと母がビニール紐で簡単に養生したときのものです。

 

バタバタと過ごしているうちに、タイミングを逃してしまいましたが、無事、きれいな花を咲かせました。

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タイトルを【満開水仙】にしましたが、「イエロー&イエロー」でも良かったかも。

 

今年の花は、今年のうちに。です。

時季外れですが、自己満足 (^^)/

 

つい昨日、ニュースで満開の牡丹のことを取り上げていました。

残念ながら、我が家の牡丹は暴風雨のおかげで一足早く終わってしまいました。

 

過去記事>>雨に濡れてうなだれる庭の牡丹 - 迷子の日記。行ったり来たり。

【本の紹介】『人生は「書くだけ」で動き出す』by塩田洋介

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なんだかタイトルを見ただけで、胸が高鳴るというか、気になって仕方なくなりました。

 

表紙の折り返しには、もっとワクワクさせてくれるコトバが並んでいます。

 

『好きな仕事、自由で自分らしい人生、

落ち込まない心、支配されない人生

少しのスリルと、おおいなる興奮、

これらはすべて「書くこと」で手に入れた。

「書くこと」から人生の革命が始まる!』

 

なんてことだ。

すっかり忘れていた、大いなる野望がここにあった。

 

ふいに目が覚めたような気がしたのです。

 

そういえば、ライティングの仕事を始めてそろそろ半年になります。

納品数がやっと100を超えました。

 

文字数にすると10万文字以上書いたことになります。

 

始めたころに比べて、文章の質がそう向上したとは思えませんが、書くスピードは…やっぱり大して変わりません×

 

ただ、最近、驚くくらい変わったと実感できたことが一つだけあります。

 

それは、読む速度です。

これには自分でもびっくりしました。

 

なにか一つでも、進歩したと確実に思えることができたことが、ここ数年の自分を振り返ると奇跡にも感じられます。

 

そんな風に考えると、本書のタイトルもあながち大げさとは言い切れないのです。

 

著者独自の文章術や独特の経験譚は、書くことをあきらめてしまった人や、書くことに対しての苦手意識から脱却できない人におすすめです。