初回投稿日:2023/08/20 最終更新日:2023/09/20
編んだ順番は右からです。
最初にいわゆる「ニット帽」
それから「ベレー帽」
その次がつばのある「バケットハット(バケツ型帽子)」
それでもまだ毛糸が残っていたので、最後に折り返しのないニット帽を編みました。
*********************************
CONTENTS
*********************************
着られないカーディガン見つかる
きっかけは、母の衣装箱に沈んでいたカーディガンを見つけたことです。
羽織ってみましたが、編み方がきつくて手首部分は手が通りません。
当然、手触りもゴワゴワして毛糸の柔らかさが感じられず、手の込んだ編み方だけに、なんとも残念なカーディガンでした。
「これ、どうしたの?」と聞くと、母のお友達からいただいたのだと言います。
編み目がきつすぎて窮屈なので、つい衣装箱に入れて何年も忘れていたらしい。
久しぶり衣類の整理をしていて見つかったものの着ることはできず、捨てるに捨てられないでいたのです。
「あなたにあげるわ。お母さんには無理だけど、捨てるのもなんだから」
苦手な一言。
よく母は、捨てると言う行為を私に押し付ける。
いきさつを聞けば、私だって捨てづらい。
そんな時、ふと思いついたのが「帽子にする」ことでした。
働かざる者被るべからず?
母に手がかかるようになって、常勤の仕事が見つけづらくなりました。
何度か、昔登録していた派遣会社や講座を受け持っていた専門学校から仕事の紹介や依頼をいただきましたが、少なくとも月に2日は通院で休まなくてはならないことを伝えると瞬く間に消えていきます。
〆切を抱えることもできません。
定期的な通院以外にも、突然調子が悪くなったり、補聴器の調整や親戚付合いなどの急な予定が入ることも多く、それらはすべて最優先事項だからです。
そんな状況で、定期的な収入のない身としては、帽子を買うことがとても贅沢なことに思えてしまい、ついに購入できずじまいでした。
2月のある日、友人から連絡があり、食事をすることになりました。
タイミング悪く、約束は美容院の予約日のほんの少し前です。
中途半端に伸びて白髪が目立ち始めた髪をどうにかしてカモフラージュしたい。
仕方なく、貯まっていたポイントを使って、セール中の楽天でちょっと被れそうな帽子をゲットしたのですが、残念ながら、届いた帽子はすっかり私を落胆させただけでした。
そんなわけで、ずっと「帽子、帽子…」と思い続けていたわけです。
一度編みあがったものをほどくのは難しい
「ねえ。このカーディガン、ほどいてしまってもいいかしら?」
「かまわないけど、ほどいてどうするの?」
「久しぶりに編み物でもしようかと思うのよ。帽子くらいなら編めるでしょ」
完成品をほどいて編める状態にするのは思いのほか大変でした。
「(カーディガンをほどくのは)そんなに簡単じゃないわよ。ほどいても”湯のし(蒸気を当てて糸を柔らかくすること)"*1しなけりゃならないし。結び目探すだけでも面倒なのに。そもそも、素人に簡単に編めるわけがないでしょ」
子どものころからそう。母は何にでも懐疑的で否定的。
思いついてなにかしようとすると、ことごとく却下された。
思い出さなくてもいいことがどんどん頭に広がってくる。
最近とくに誤解や曲解が多くなり、短気になった母と口論になると感情が抑えられなくなりそうなのでできれば避けたい。
隠すようなことではないのに、家事をそそくさと済ませて、こっそり自室にこもって糸をほどき始めました。
とはいえ、母の言い分も間違いではありません。
何しろ編み方が固く、しかも何年も放置していたのです。
やっとほどき口を見つけてもスルスルとほどけることはほとんどありません。
その上、襟元、袖口、裾、袖、見ごろ…すべてのパーツがハギ合わせてあり、毛糸はプチプチプチプチ短く切れています。
糸は太さの違う2本を撚り合わせている、ちょっと高そうな感じですが、これが割れたり、半分だけ途中が切れていたりして絡まりやすい。
太い部分と細い部分の差も激しい。
写真には上手く収められませんでしたが、撚り合わせの片方が切れてしまっている部分も多かったです。
来る日も来る日もほどきましたが、なかなか編めるような毛糸玉になりません。
結局、全部ほどくのに半月ほどかかるのですが、これが苦行と思いきや、ひたすら集中することで久しぶり日常の煩わしさから解放されたのです。
「楽しいけれど、結構むずかしいのよ。もっときもちよくほどけるかと思っていたのにね」
内緒でほどき始めてから10日くらい経って母に話すと、
「どれ、お母さんに貸してごらんなさい。こういうのは、(ほどき口の)とっかかりを探すコツがあるのよ」
なんと、母が身を乗り出してきました。
すべての高齢者に集中することが良いわけではない
母のほどき方はとても大胆でした。
適当な個所を選んでは、結構な力で引っ張る。そこで動いた糸をピンポイントで引っ張って、纏ってある部分はチョキンと鋏で切る。
さらに編地を引っ張って、切った糸とつながっている部分を引っ張る。
もし編んでいる糸であれば、スルスルとほどけてくるのです。
たちまち集中した母は、久しぶり目をキラキラさせて、昔の癖のまま下唇を少しつきだした顔で次々と毛糸玉を作ってくれました。
ただし…困ったことに、トイレのタイミングが難しい。
おぼつかない足取りになってから、トイレへの移動に時間がかかるようになりました。
「(トイレは)早め、早めに行くようにしてね」
たったこれだけのことも、伝えるのに気を遣います。
ほどき始めた日、トイレの床がびしょびしょでスリッパも履けない状態になっているのを見つけました。
呆然と立ち尽くしたほどショックな光景で、一瞬、頭が白くなりました。
リビングにいる母は、何事もなかったように無心に毛糸をほどいています。
「お母さん、トイレに行った?」
「ええ、さっき」
「ズボン、大丈夫?」
「どうして?」
「気持ち悪くない?ちょっと立ってみてもらってもいい?」
「失礼な!」
急激に表情が険しくなります。
トイレが濡れていたことを伝えると
「お母さんじゃないわ!あなたは本当に失礼!」
激昂する母ですが、風邪を引いては大変です。
「じゃあ、汚したのは私?私が行こうとしたら床が濡れていたのよ。それっておかしいでしょう?スリッパもビショビショだったのよ。もしズボンが濡れていたら、替えないと風邪を引いたら困るでしょう?」
「そうねえ」
やっと納得してくれましたが、ズボンは濡れていないと言って立ち上がろうとはしませんでした。
自力での外出もままならず、服用薬にはステロイド剤が多量に含まれていて、テレビも大して面白くない。
日ごと、表情はぼんやりしてきて、気がつけば寝ていることが多くなっています。
主治医に相談しても、「検査結果の数値は悪くないし、とくに問題はないですよ」と言われるだけです。
そんな母が、久しぶり目を輝かせていたことは、うれしい驚きでした。
けれど、高齢になればなるほど、あらゆる器官や感覚が想像以上に緩くなってくるのです。
集中できることには、それ自体に達成感や「やってる」感があります。
集中すれば、ほかのことを考える余地もなくなるので、日々の鬱屈からも解放されるでしょう。
母の場合、編み物は「昔取った杵柄(きねづか)」でもあります。
輝かしい思い出や自信も蘇ってくるのかもしれません。
できないことが増えてきて「こんなはずじゃなかった」とか「なんで私が」という思いが積もっていた日常に、光明が差すかのように。
そんな風に思えば、カーディガンをほどく作業を手伝ってもらったことは、母にとって決して悪いことではなかったと思っています。
但し、塩梅はとても難しい…。
編むことは楽し
編むことは楽しいです。
現在は、検索すれば編み方のブログや動画が驚くほどたくさん公開されています。
編み図が上手く読み解けなくても、どうにかこうにか形にすることができるのです。
編んだりほどいたりを何度も何度も繰り返しながら、オウンサイズ(OWN SIZE、自分サイズ)の帽子を編む。
子どものころを思い出したり、出来上がった帽子を被って出かける日を想像したり。
編みながらも、意外なほどさまざまな思いが巡ります。
不思議なことに、その思いはすべてふうわりと暖かく、前向きです。
編むことは楽し。
Let's knit! さあ、編もう!
※個々の帽子については、後日改めて(^_-)-☆
今回使った編み針【おすすめ】
子どものころ、お小遣いを貯めて買ったかぎ針です。
昔からある、クロバーかぎ針。
他と比べたことはありませんが、口コミでも評価は上々です。
これから、いろいろなサイズを揃えていきたいです。
*1:ニットをほどいて編み直す際、必ず必要な工程ではありません。今回、私はそのままの糸で編みました。