歌ってみて♪童謡『ふるさと』歌詞の誤解釈いろいろ
童謡の「ふるさと」はいつ聴いてもいい。
子どものころは、メロディーの美しさに
大人になったら、歌詞の美しさに
しみじみとします。
「ふるさと」が発表されたのは大正3年、今から100年以上前だそうです。
先日、母がふと思い出し笑いをしながら言うのです。
「童謡の『ふるさと』があるでしょ。あの『うさぎおいし』ってところ、ウサギが美味しいって思ってた人があるんだって。おかしいわよねえ」
つい、私は愛のない返しをしてしまう。
「あら、お母さん。それって有名な話よ。いろんな人が言ってるわ」
「まあ、そう?」驚いた顔をする母にさらに追い打ちをかけるように
「もっとすごい勘違いをしてる人もいるのよ」
自信たっぷりに話す自分を自分で諫めたいけれど、止まりません。
「『うさぎおい しかのやま こぶなつり しかのかわ』って思い込んでいる人もいるんですって」
「へえ」という母にまたもや
「だからね、ウサギを追って山へ行ったら、もう、こーんないっぱい鹿だらけの山でね、ふもとの小川でフナを釣っていたら鹿の皮がいーっぱい見つかったって」
「まあ、恐ろしい。それは無茶苦茶ねえ」
母は目を白黒させていました。
ムキになるつもりはありませんでしたが、勢いづいてしまいました。。。
母が話す他愛もない話はさらりと聞き流した方が良いのだと思うのに、いつもつい私はしゃべりすぎてしまう。
反省しながらも、母が私の言葉を繰り返しているのを見ているとおかしくなってきて、母と二人「いろんな人がいるものねえ」とゲラゲラ笑ったのです。
思い返せば、音楽の時間、歌詞について学習した記憶がほとんどありません。
音楽の授業は、あくまでも楽譜が中心だったと思うのです。
どんなに素晴らしい歌詞も音符中心で見ていくので、「ウサギを追いかけたあの山」だと思った子もいれば「ウサギが美味しい」と思った子や「鹿の山」だと思った子もいた。
いや、国語の授業ほどではないけれど、詩の解釈もあったのではなかったかしら。
もう遠い昔になってしまったのではっきりとは思い出せませんが、「ふるさと」は幼いころから大好きな歌でした。
いつ思い出しても、小川のせせらぎや菜の花畑など美しい田園風景が浮かびます。
年齢ごとで切なさの感じ方が変わるのも、「ふるさと」の魅力です。
今は、授業で採り上げられる楽曲も教え方もずいぶん変わったのでしょう。
どれほど時代が変わっても、「ふるさと」は繋いでいってほしい歌のひとつです。