今日は、友人の壮行会。予約の取りづらいお店なので、メンバーのうちの二人がお昼前から列に並んでくれました。
ランチで壮行会と決めていたので開始を13時前後とだけ決めておいて、実況がLINEで送られ、具体的な待ち合わせ時間を決めます。
SNSの恩恵はこんなところにあるのですね。
図書館の返却日なので、少し早めに家を出て大きく迂回して現地へ行くことにしました。
暖かく穏やかな天気の外の空気は気持ちいいものです。スニーカーを履いて、軽快な足取りで図書館へ向かいました。
図書館に着くと、返却口に3歳くらいの男の子を連れた親子がいました。とても愛想のよい子供です。
受付の女性もつい顔がほころんでしまうようで、優しい笑顔で手を振ります。
私の番。光景を見ていた私もなごんでいたのですが、受付の女性の顔はこちらに向いた途端に能面のようになります。
少し戸惑いましたが、1つだけ断りをしたいことがありました。
先週返却した本は、かなり傷んでいました。書き込みもされていたので、そのときの担当の方から「このしおりを挟んで返却してください」と言われていたのに、読むとき邪魔で外していて忘れたまま返却してしまった。
しおりには、丁寧に対象書籍の番号が記されています。「この本は、貸与時に既に傷ついていたもので、返却者の過失によるものではありません」という文字が印刷されています。
私は、ほぼ毎週図書館に通っています。延滞も本を汚したりしたこともありません。
だから、私が書き込みや乱暴な扱いをしたと記録されたくなかったのです。
図書館がどういう管理をしているのかは分からないので、杞憂かもしれません。でも、とりあえず受付の方にしおりを渡したい、そう思っていました。
事情を話そうとすると「はぁ」とため息をついて、こちらを見ようともしません。「で、どの本に挟むんですか?」
今回返却した3冊を、矢継ぎ早に「これですか?これ?これ?」顔を上げずに面倒そうに私の前に本を並べます。
「ごめんなさい。この3冊でなくて、先週お返しした本なんですけれど」
「え?どれ?これ?」
「いえ、先週の・・・」続ける前にしおりが投げ捨てられて「はぁっ」とため息だけが返ってきました。
わずか数秒のやり取りです。後に誰も並んでいません。ごちゃごちゃ言った私が悪い。けれど、彼女は笑えない人ではないのです。幼い子には手を振る優しさも持っている。
よくある話です。幼い子供、歩くのもやっとの高齢者。こういう方たちには優しい。
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私が中学生の頃。大雨の日に自転車で母が転んでけがをしたことがありました。
母は近所の農家に野菜をもらいに行って、帰り、傘さし運転の自転車とぶつかって、止まっていた宅配のトラックにぶつかってけがをしたのです。
家を出る時から雨が降っていて、母は合羽を着て出かけました。ぶつかった彼はビニール傘を差してウォークマン*1を聴きながら結構なスピードで走っていたそうです。
二人がぶつかった瞬間を家の中から見ていた主婦が道路に飛び出して、中学生に駆け寄り「大丈夫!? まあ、可愛そうに、本当にねえ!?」と母をねめつけたそうです。
唇を切って出血している母を睨みながら、無傷の中学生に何度も「大丈夫?」と繰り返し、「うちへちょっといらっしゃい」と連れて帰ろうとしたらしい。
彼は逃げるように行ってしまったということでした。どうやら彼らは全くの他人、知り合いではなかったそうです。
母に言わせれば、彼は、音楽に夢中になって、ノリノリで自転車に乗っていて、母は彼を避けようと道の端に寄ろうとしたけれど、相手の方向が急に自分に向いてきて避けようがなかったということでした。
こういう状況の時、無条件に「子供」と括られる人たちに手を差し伸べるのがやさしさと思っている人たちがいます。
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身内の話や自分自身の話が例だとあまり説得力はないかもしれませんが、「親切」とか「やさしさ」という言葉を体現するときに、客観性を失ってしまう人はいるのです。
「人にやさしく」が「優しい人に見られたい」というのと同義になってしまっている人もいます。
何が正しい、と言い切ることはできません。たとえ偽善から始まっても、他者への愛が示せればそれは尊いことでしょう。
何だか、話が大げさになってしまいましたが、記憶と言うのは無くならないらしい。何かをきっかけにして埋もれた記憶は蘇るのだそうです。
友人との約束の場所までの道すがら、いろいろと考えてしまったのでした。
【過去記事】
i-am-an-easy-going.hatenablog.com
i-am-an-easy-going.hatenablog.com
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*1:小型音楽プレーヤー